ブラタモリ 「京都・西陣〜織物の町・西陣はどうできた?〜」

『ブラタモリ』(英称:BURATAMORI、通称:ブラタモ)は、NHK総合テレビで2008年から断続的に放送されている日本の紀行・バラエティ番組。司会を務めるタモリの冠番組でもある。ステレオ放送、解説放送・ステレオ2音声(2016年4月30日放送分から実施)、文字多重放送、ハイビジョン放送を実施[※ 1]。 レギュラー版の放送時間は、第3シリーズまでは毎週木曜22:00 - 22:48[※ 2]であったが、第4シリーズからは毎週土曜19:30 - 20:15(いずれもJST)へと変更された。パイロット版や特番の放送時間は#番組の推移節などを参照。

出典:goo Wikipedia

放送日 2019年7月13日(土) 19:30~20:15
放送局 NHK総合大阪

番組概要

京都・西陣 (バラエティ/情報)
19:30~

今日は京都の西陣。本隆寺という寺がある通にタモリは昔行きつけの蕎麦屋があり、入ったことがあるという。西陣は生活感のある町家の風景で、普段着の京都が感じられるエリアとして知られている。タモリは、ここでやるということは、どうして西陣は織物の本場になった?とかではないかと予想した。旅のテーマは、織物の町・西陣はどうして出来た?という内容で、そのままだった。観光ガイドの鳥井光広は、二人に西陣織のイメージを質問。タモリは豪華なイメージだと語った。鳥井は、西陣織について、皇后 雅子さまが結婚の儀でお召になっていた十二単は西陣の職人が作ったなどと説明。今回の舞台は日本を代表する高級織物・西陣織の産地として知られている京都・西陣。

キーワード
西陣
京都府
西陣織
結婚の儀
皇后 雅子さま
花鳥の間

オープニング (その他)
19:33~

オープニング映像。

♪オープニングテーマ「女神」井上陽水

キーワード
女神
井上陽水

京都・西陣 (バラエティ/情報)
19:34~

タモリらはまず、本物の西陣織とはどんなものなのかを見せてもらうことに。タモリは、緯錦、ビロード、綟り織の3つ織物の手触りを比べて、全然違うとコメント。しかしここにある全てが西陣織で、鳥井は西陣織という一つの織り方があるわけではない、と説明。では何を持って西陣織と呼ばれているのかについて、タモリは西陣で織られたからと即答した。

西陣織は実際にどのように織られているのか、早速見に行くことに。西陣織 織り子の森紗恵子さんが出迎える。森さんは、綴織という織物を織っているといい、白い糸が縦糸で隙間に色のついた緯糸を通していくなどと説明して織っていった。細かい部分は爪を削って目立てをして、小さいクシとして織る、最も手間がかかる爪掻本綴織を織るという。森さんはこの柄だと1日に早くて5cmくらい進むと話した。西陣織には細かく分かれた行程それぞれに専門の職人がいて、どれも一人前になるまでに10年はかかると言われる。なぜ西陣はこのような織物の街になったのか。

タモリが向かったのは南東へ500mの場所。そこで待っていたのは、ブラタモリで8回目の登場となる京都高低差崖会 崖長の梅林秀行さん。京都の地形を探求し続けて15年の街歩きガイド。西陣がなぜ西陣と呼ばれるようになったのか知っているかと聞かれ、タモリは応仁の乱のときに西の方の陣地だと答えて正解。梅林さんは戦ったのは東軍・細川勝元、西軍・山名宗全だと説明した。でも戦の舞台がなぜ織物の町になったのか?戦国時代の建物や道の様子が正確に描かれているという上杉本 洛中洛外図屏風を見ると、東軍と西軍を分けた川があるという。この川は暗渠化されていてもうないというが、痕跡が残っているだろうとして向かうことに。欄干だった場所を見つけ、絵図を見るとすぐ近くに東軍の対象の細川さんの本陣があった。注意しながら川沿いを進むと橋脚をすえていた礎石が見つかった。その百々橋こそが応仁の乱の中でも有数の激戦地だったといい、東軍の本陣があったのは激戦地の目の前だった。そこでどんな戦いが行われていたのか。さらに北に進むと橋の跡があった。梅林は、応仁の乱の発端自体がご近所同士の家督争いだったと説明。そして山名宗全邸宅跡に移動。ここが西陣の地名としての発祥だという。東軍と西軍、ご近所同士が激戦を繰り広げたことが西陣織を生んだ理由だという。逃げ出した住民の一部が向かったのが大坂・堺。そこは当時貿易が盛んな港町で、世界最先端の織物の技術に出会うことが出来た。戦が終わり再び京都に戻った住民はこの技術を生かして織物産業に取り組む。これこそが西陣織と呼ばれる織物の始まり。しかし西陣織が大きく発展するにはもう一つ大きな理由がある。そこでタモリがやってきたのは、西軍本陣から1kmほど北西の場所。

織物の町・西陣はどうできたのか、織物の町として発展した理由を探る。鞍馬口通という道路を歩いていると、タモリは京都に来ると必ず来るという。なぜ西陣の町がここまで大きく拡大できたのか、その謎を解くヒントがこの先にあるという。そのヒントとなるのが、船岡山。約100段の石段を歩いて15分歩いて頂上を目指す。梅林は、船岡山が京都の人たちにとって特別な場所だったと思われるという。チャートの表面を見ると、人の姿のような形が何となく浮かび上がってくるといい、さらにその仏様の傍らには、お墓が並んでいる。梅林は、船岡山は京都の人たちにとってあの世への入口だったみたいだといい、京都のへりだったこの地は室町時代ころまでは手付かずで野原が広がっていたと考えられていて、だからこそ新しい街が拡大しやすかったという。このあと、江戸時代に繁栄ぶりを探してもらうが、梅林はここでお別れ。

再び西陣に戻ってきたタモリ。この当たりはマンションばかりで町家っぽいのがない話して歩いていると、観光ガイドの鳥井さんが出迎える。千両ヶ辻と呼ばれた通で、当時日本で最も栄えたとおりの一つだといい、先にを歩いてみることに。織物に関わる店が軒を連ねていたいわば織物ストリートで、江戸時代どうしてこれほど反映したのかがわかるお宅があるという。江戸時代中期から280年続く帯の問屋を訪ねる。帯問屋10代目の木村正也さんが、出迎える。西陣織が反映した理由がわかるという、ご注文頂いた切れ地をデータとして残した見本切れ帳だという御紋本集を出してきた。当時西陣織を注文した人たちの家紋があり、日本家紋研究会の高澤等さんは、公家とか高貴な家の家紋だといい、徳川家の三つ葉葵などの家紋があった。京都という立地を活かしセレブをお得意様に出来たことで大発展したという。こうして江戸時代セレブたちの間で高値で取引され、繁栄を極めた西陣織。ところが明治に入ると大ピンチが訪れる。そのことを示すのが、明治時代に天皇陛下が東京に行くときに感謝の品を渡していったというが、当然洋装化になってくるので大打撃になったという。

明治に入ってお得意様を一気に失った西陣の町は、どうやってピンチを乗り越えたのか。当時の作り方を今も続けている織物工場でその秘策を探る。当時の製法を続ける織り機こそが西陣織のピンチを救ったものだという。フランスから取り入れたというジャカードのおかげで効率は4倍アップしたという。西陣織工業組合 理事長の渡邉隆夫さんは、パンチカードが上げたり下げたりという指令を出していて、織り手はどこでどの糸を使うかが自動で全部わかると説明した。これによりセレブだけでなく一般の人も西陣織が手に入るようになってきたという。応仁の乱と明治維新。西陣の人たちは海外の新技術を取り入れることで乗り切るしなやかさを持っていた。その結果、再び大きく反映することになった。生産が追いつかず大勢の職人が集まった。

急増する職人をどう受け入れたかが、今の西陣の町で分かるという。京都でよく見かける町家だが、よく見ると家の奥に路地が続いている。敷地内の路地を中に入っていくと、中にはまだたくさんの家があった。鳥井は、これが明治時代に職人が急増した痕跡だと説明。今日のお題は、織物の町、西陣はどうして出来た?というテーマだったが、タモリは西陣じゃないとダメだった、必然的にこの場所にできたといい、応仁の乱も調べてみると滑稽な戦争だったのがわかって面白かったとコメントした。

キーワード
京都府
西陣織
西陣
爪掻本綴織
京都高低差崖会
応仁の乱
山名宗全
細川勝元
上杉本 洛中洛外図屏風
百々橋
堺(大坂)
南蛮屏風
鞍馬口通
船岡山
チャート
西陣織工業組合
ジャカード

エンディング (その他)
20:13~

エンディング映像。

♪エンディングテーマ「瞬き」井上陽水

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ブラタモリの次回予告。

キーワード
瞬き
井上陽水
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