ブラタモリ 「#128 阿波踊り」

『ブラタモリ』(英称:BURATAMORI、通称:ブラタモ)は、NHK総合テレビで2008年から断続的に放送されている日本の紀行・バラエティ番組。司会を務めるタモリの冠番組でもある。ステレオ放送、解説放送・ステレオ2音声(2016年4月30日放送分から実施)、文字多重放送、ハイビジョン放送を実施[※ 1]。 レギュラー版の放送時間は、第3シリーズまでは毎週木曜22:00 - 22:48[※ 2]であったが、第4シリーズからは毎週土曜19:30 - 20:15(いずれもJST)へと変更された。パイロット版や特番の放送時間は#番組の推移節などを参照。

出典:goo Wikipedia

放送日 2019年3月26日(火) 23:55~ 0:40
放送局 NHK総合大阪

番組概要

阿波踊り (バラエティ/情報)
23:55~

今日の舞台は徳島市。今回で47都道府県を制覇したという。タモリは「俺は3度くらい来てるけど全て用事で来ている。観光というのはない」と説明した。

今日のお題は「阿波踊りはなぜ生まれた?」。今回の案内人は根津寿夫さん。徳島の町の成り立ちを調べ続けて30年になる。阿波踊りの期間中は120万人が訪れるという。阿波踊りの歴史はおよそ400年前に遡り、徳島の町人が亡くなった人の霊を弔うために行っていた盆踊りがルーツとなっている。

キーワード
徳島市(徳島)
阿波踊り

オープニング (その他)
23:58~

オープニング映像。

オープニングテーマ「女神」井上陽水。

キーワード
女神
井上陽水

阿波踊り (バラエティ/情報)
23:59~

「阿波おどり会館」を訪れた一行は阿波踊りを観覧しながら阿波踊りの特徴について考えた。路上を行列し観客に見せる踊りが阿波踊りの特徴だという。さらに一行は町の構造と踊りの関係を探るべく乗船。徳島はたくさんの島が集まって出来た場所で吉野川が洪水のたびに大量の土砂を運ぶため河口にいくつもの高まりができた。川はそこを避け流路を作り長い年月をかけていくつもの島を作った。この島に縁起の良い“徳”の字をつけて生まれたのが徳島という地名だった。徳島の城下町は町人が住む場所が全体の12%しかなく町が数々の島に別れていたことが理由。盆踊りをやりたくても場所がなく路上で行列で踊るしかなかったという。

一行は阿波踊りが見せる踊りとなった謎を解く重要な場所「新町橋」を訪れた。当時、新町と内町は派手さや技を競い合っていたが隣町での踊りが禁止されていた。徳島藩が風紀の乱れや暴動を警戒したためと言われている。町人たちはどちらの町でもない橋の上で踊りを見せ合うようになり、回りから見えやすい橋の上が絶好の舞台になっていた。

当時の徳島には派手な踊りを毎年行えるほどの財力があった。徳島は“藍”の一大産地で藍商人が阿波踊りを支えていたという。藍商人の末裔・武知毅さんが一行を出迎え藍作りの作業場を紹介。明治中期に染められた藍染を披露した。さらに17代目当主・田中誠さんが阿波踊りと洪水の関係について説明。洪水が毎年のように肥沃な土壌を運んだため藍の連作を可能にしたと言われている。明治25年に発行された長者番付には徳島の豪商が123人もランクインしていた。

一行はかつて花街として栄えた富田町を訪れた。藍商人の宴会が阿波踊りの音楽を大きく進化させたものと言われている。当時、徳島で歌われていたと考えられている盆踊り唄に「牛深ハイヤ節」や「砂持」を混ぜ合わせ完成されたと言われている。藍商人は各地で耳にした日本中の音楽を持ち帰りお座敷遊びの中で伝えていたという。

明治になると化学繊維業の台頭で藍産業は衰退。そんな時、新しい産業として注目されたのが観光。阿波踊りをメインにして観光客を呼び込もうとした。富田町の芸姑たちがキャラバン隊を組み全国にPRした。昭和の中頃まで阿波踊りの振り付けは洗練されたものではなかった。1983年に四宮賀代さんが生み出した動きが現在の阿波踊りのルーツだという。

タモリは「全然知らなかった。いろんな制約の中でそうせざるを得なかったというのもあるし、こう変えようということもあったし時代の流れの変化にもあった。いろんなことがあって今日、生き残っているわけですね」とまとめ、全員で阿波踊りを披露した。

キーワード
阿波踊り
徳島市(徳島)
両国橋
新町川
眉山
吉野川
タデ藍
牛深ハイヤ節
砂持
富田町(徳島)

エンディング (その他)
00:38~

エンディングテーマ「瞬き」井上陽水。

エンディング映像。

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「ブラタモリ」の次回予告

キーワード
瞬き
井上陽水
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