クローズアップ東北 “復興の大動脈“ 国道6号を行く

『クローズアップ東北』(クローズアップとうほく)は、2002年4月5日から2018年3月2日まで放送されていたNHK総合テレビジョンの東北地方向け地域情報番組である。以前のタイトルは『ズームアップ東北』、『リポートとうほく』、『NHK東北アワー』等であった。地域別の番組についてもここで併せて記載する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2017年9月10日(日) 2:30~ 3:00
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
02:30~

今回の放送内容は「“復興の大動脈”国道6号を行く」。

“復興の大動脈” 国道6号を行く (バラエティ/情報)
02:31~

大型のトラックや、作業員を乗せた車などが列を成して通っていくのは、ことし4月に避難指示の一部が解除された福島・富岡町。この町を含め、福島県を南北に貫くのが「国道6号線」だ。1日の交通量は1万台を数え、“復興の大動脈”と呼ばれている。今回はこの1本の道をたどり、この地に暮らす人々の現実を見つめる。

福島第一原発から16キロの南相馬市では、地域の農家が集まって田んぼに生えた雑草を刈っていた。1年前に避難指示が解除されたが戻ってきたのは2割近く。風評被害で米を作っても売れず、事故以来、田植えはしていないという。一方で、16代続く農家の小高区東部地区区長会長の山澤征さんは仲間たちと農業の再開を模索したが、風評被害によって困難を極め、農地は除染で出た廃棄物の仮置き場となっていた。その代償として、国からは保証金が出た。すると、今度は心無い噂を耳にするようになったという。

非難した自治体の中で震災前の人口が最も多かった福島・浪江町では、ことし3月に避難指示が解除された。しかし、戻ってきた住民は1%程度にとどまっている。そんな町で、田河一良さんは避難指示の解除と同時に自転車店を再開させた。田河さんは原発事故の起きる直前、入学シーズンに合わせて例年通り自転車を大量に仕入れていた。現在、自転車は定価の半値で販売していて、すべて売れても損をする。それでも、投資分は回収しようと店を開けていて、この在庫を処分したら店を閉めるという。そんな田河さんの店に、昔なじみの客がバイク修理の依頼に訪れた。大修理になったが、田河さんの修理の腕は衰えていなかった。田河さんは店の客を思って「気の毒なんだよな、やめちゃうと」と呟いた。

浪江町にある店に並べられていたのは、津波で流された思い出の品々。「思い出の品展示場」管理人の川口登さん自身も、津波で家と両親を失っている。これまで展示されたのは1万7千点にのぼるが、6年経っても引き取られたのは1割ほどだという。この取り組みでは、川口さんの両親の写真も見つかっている。

町の96%が帰還困難区域となっている双葉町では、6号線の通過は許可されている。福島第一原発が2キロ先にあり、40年とも言われる廃炉作業が1日5,500人体制で続けられている。戦後、本格的に整備された国道6号線は生活道路として使われたが、原発の建設計画が本格化した1960年代には性格が変わる。原発建設で地域経済は潤い、多くの雇用を生み、交通量も増えた。しかし事故後の6号線は“廃炉の道”とも呼ばれるようになる。

福島・双葉町の帰還困難区域にあるガソリンスタンドが、この6月から営業を始めていた。双葉町出身の吉田知成さんは営業再開にあたって、床のコンクリートを削るなど放射線量を避難指示解除の基準値以下に下げる努力し、国から特別な許可を受けた。さらに、営業を続ける上でも様々な制約があり、洗車もできないため儲けはほとんどないという。吉田家の家業は明治時代に創業した煙草屋に始まり、時代を象徴する燃料とともに歩んできた。原発建設後は、東京電力と深く付き合ってきたという。吉田さんは東京で働いていたが、原発事故後に燃料の需要が増加したのを機に戻る決意をした。今では町内各地で行われる除染や建設現場に出向いて給油を行っている。吉田さんは東電に対して悪い感覚はないと心中を明かした。

この4月に避難指示が解除された富岡町には、大型スーパーが建てられ、新しいホテルの建設も進んでいる。だが、その一方で、住宅地では国から解体費用が全額出るとあって家屋の解体がいたるところで進んでいた。一部事業を再開させた不動産会社を経営する杉本誠二さんは、生まれ育ったこの町に起きている異変について話す。いま、杉本さんのもとには、数千坪単位の土地を求める企業などからの問い合わせが来ているという。その大きな理由は、家屋の解体によって更地が次々と生まれていることだ。杉本さんは住民の宅地取引を見込んで再開したが、実際に戻った住民は1%ほどで、復興企業との取り引きに仕事が変わりつつある。

作業員が住民の数に匹敵する3000人も暮らす広野町で、50年続くという金物店を尋ねた。事故後、客層はがらりと変わり、大半は除染関係の作業員になったという。放射性廃棄物を入れるための袋など、事故前には無かった商品も扱うようになった。経営する渡辺ユワさんは、売り上げについて「震災前の倍ではきかない」と話した。

作業員が通い詰めるのは、鈴木すみさんが切り盛りする居酒屋店。地元の客と話をしていたのは、町に移り住んだ除染作業員だった。鈴木さんは、作業員が地元の人と話すきっかけを作るためにさり気なく声をかけていた。鈴木さんは「(作業員と)地元の方との共存は考えていかないといけないんじゃないか。うちの店が交流の場になれば」と語った。

毎朝、渋滞する広野町の国道6号線。最後に出会ったのは、いち早く米作りを再開した農家だった。新妻良平さんは「この渋滞が、朝渋滞しなくなれば復興終了なのかなと思う」と話した。

キーワード
富岡町(福島)
南相馬市(福島)
ふるさと小高区地域農業復興組合
福島第一原発
小高区(福島)
放射能
浪江町(福島)
思い出の品展示場
双葉町(福島)
帰還困難区域
東京電力
広野町(福島)
野馬追
八王子(東京)

エンディング (その他)
02:59~

エンディング映像。

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