SONGS X JAPAN〜世界が共感する奇跡の物語〜

放送日 2015年12月31日(木) 0:50~ 1:19
放送局 NHK総合大阪

番組概要

第360回 X JAPAN~世界が共感する奇跡の物語~ (バラエティ/情報)
00:50~

X JAPANは19ヵ国28公演の世界ツアーを行うなど、日本のみならず世界中が熱狂している。アジアや南米、ヨーロッパでも熱烈に歓迎され、去年10月のニューヨークでは1万5000人を動員した。名実ともにワールドクラスのロックバンドへと上り詰めたX JAPANだが、ここまでの道のりは悲劇の連続だった。今回は、YOSHIKIがすべてを語る独占インタビューや30年間の貴重な映像を流す。

X JAPANは1982年に、YOSHIKIとToshiを中心に結成された。当時のバンド名は「X」。体が弱くピアノばかり弾いていたYOSHIKIと、野球が好きで活発だったToshiは、ともに千葉・館山市出身の幼なじみだ。2人が出会ったのは4歳の時。ハードロックが共通の趣味だったこともあり、11歳でバンドを組んだ。2人のバンドで世界征服をしようと志し、高校卒業後に揃って上京した。Xが結成当時からこだわっていた過激なパフォーマンスやビジュアルには、厳しい批判の声が浴びせられたという。

Xが逆境をはねのけるきっかけとなったのは、メジャー初のシングル「紅」だった。YOSIKIは、「紅」がヒットした当時を「生きててよかった、やってることが正しかったんだなと思えた」と振り返った。デビューから3年後には紅白歌合戦でも披露し、「紅」はXの代表曲になった。

「紅」のヒットをきっかけに、次々とテレビ番組に出演したX。彼らの多彩な音楽性が、90年代初頭の日本を席巻した。Xの大きな魅力の1つがバラード。クラシック音楽を学んだYOSHIKIが手掛ける美しいメロディーが特徴だったとして、NHK「JUST POP UP」で「ENDLESS RAIN」を披露した映像を流した。続いて、演奏が激しすぎてライブで封印したこともある「Silent Jealousy」を「NHK紅白歌合戦」で披露した映像を流した。YOSHIKIの生き様を投影したような歌詞もxの魅力で、「Tears」はYOSHIKIが10歳の時に急逝した父を思って書いた曲だという。

メジャーデビュー後、アルバムが2作連続でミリオンヒットし、Xの人気は社会現象になった。次なるターゲットはアメリカと、92年にはロサンゼルスに移して現地のレコード会社と契約。バンド名も「X JAPAN」へと変更した。しかし、ボーカル・Toshiの発音問題が大きな壁となり、アメリカデビューは前に進まず、海外進出を諦めた。当時、その後のメンバーたちがソロ活動に力を入れだしたことをYOSHIKIは「メンバーの意識の変化に気づききれなかったという自分を責めた」と振り返った。

97年、Toshiがバンドを脱退した。背景には、自己啓発セミナーへの傾倒があった。YOSHIKIは「X JAPANはToshiの歌声があってこそ」と脱退を受け入れ、解散を決めた。そして、けじめをつける解散ライブを行った。YOSHIKIは「日本を代表するバンドのボーカリストが常に身近にいて、ある種家族のようなToshiが離れると言った時は、自分の中の1つの時代が終わったんだと思った」と語った。

1997年12月31日に、東京ドームで解散ライブを行ったX JAPAN。そこで披露したのが代表曲「Forever Love」。世界進出への挫折や、離れて行くメンバーの心…YOSHIKIの渦巻く感情を込めた曲だった。

X JAPANの解散から5ヶ月後、ギタリストのHIDEが33歳の若さでこの世を去った。YOSHIKIは「どん底に落ちた。すべてが崩れ、その壁に埋もれてしまった。このまま埋もれてしまえばいい、表にもう出たくないという気持ちになった」と語った。

表舞台から姿を消したYOSHIKIだったが、音楽家としての彼にオファーが無くなることはなかった。解散から2年後のYOSHIKIの元に、天皇陛下ご即位10年をお祝いする国民祭典のために曲をつくり、さらに皇居で演奏をするというオファーが来た。YOSHIKIは「終わった後に歓声が聞こえた。自分がいる場所はステージの上なのかな、水がなきゃ泳げない魚なのかなと思い、駆り立てられた」と語った。

ステージへの思いはあったYOSHIKIだが、もう一度X JAPANをやろうとは考えなかったという。YOSHIKIは「X JAPANがドアだとしたら、完全にロックしてしまっていた。開けた瞬間に、HIDEのことも含めて思い出が雪崩のように来るんじゃないかと怖かった」と語った。しかし、解散から9年が経った2006年秋、YOSHIKIの元にToshiから連絡があり、2人は再会を果たした。2人で食事に出かけ、昔話に花を咲かせたという。だが、YOSHIKIは「そこにいたToshiは、まだ僕の知っているToshiじゃなかった。目を1つ見れば分かった。でも、何か一緒にやっていけばToshiが戻ってくると思った」という。そして、YOSHIKIはToshiに歌って欲しい曲があると、亡きHIDEを思って書いた曲「Without you」を2人だけでスタジオに入って演奏した。歌っている瞬間、YOSHIKIの中に昔の思い出が蘇り、そしてToshiもまた昔のようで、「再結成したら何かが変わる」と感じたという。

再会から1年後の2008年、X JAPANは10年ぶりの再結成を果たし、解散ライブと同じ満員の東京ドームで3日間の復活ライブを行った。そして、亡きHIDEを思い書いた曲「Without You」を初めてファンの前で披露した。

解散から10年が経ち、インターネットを通してX JAPANのファンは世界中に広まっていた。復活ライブの翌年にはワールドツアーが始まり、19ヵ国28公演を行った。世界のファンは、その音楽のみならず、歩んできた物語にも共感していた。YOSHIKIは「X JAPANが今まで生きてきた過程を分かってくれているのが信じられなかった。もう一度ファンの皆さんにチャンスを頂いたと思った。命がけでやりたい」と語った。

今、X JAPANは精力的に活動を進めている。来年の春、イギリスのウェンブリーアリーナでのライブが決定。さらに全世界同時リリースとなる20年ぶりのオリジナルアルバムも製作中だ。ついに、夢だった世界進出を果たす。その前哨戦として去年10月に行ったのが、アメリカ・ニューヨークにある「マディソン・スクエア・ガーデン」でのライブだった。

YOSHIKIとToshiの固い絆であらゆる悲劇を乗り越えたX JAPAN。結成から33年間でバンドが歩んできた物語と音楽が、世界中に響き始めている。ニューヨークでのライブのアンコールで「Forever love」を披露した映像を流した。

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