歴史秘話ヒストリア ニッポン大好き!がんばって!〜ヘレン・ケラー

『歴史秘話ヒストリア』(れきしひわヒストリア)は、2009年よりNHK総合テレビジョンで放送されているNHK大阪放送局制作の歴史情報番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2012年3月7日(水) 16:05~16:50
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
16:05~

映画・奇跡の人の場面を紹介。

渡邊あゆみが挨拶。今回はヘレン・ケラーを特集すると伝えた。今回のテーマはヘレン・ケラーと日本の知られざる絆の物語。

オープニング映像。

キーワード
奇跡の人
ヘレン・ケラー

episode1 ワンダフル・ニッポン!日本との友情物語 (バラエティ/情報)
16:08~

ヘレン・ケラーが秋田犬を触っている映像を紹介。秋田犬を気に入り、アメリカへ連れて帰り、日本酒も大好きだった。自宅の庭には石灯籠を建てて日本文化を楽しんでいた。1934年(昭和9年)にアメリカのヘレンの自宅を岩橋武夫と妻のきをが訪ねた。岩橋は障害者のための法制度を日本にも導入するため協力を求めた。当時は日本で障害者に対する差別があり、就職などの権利が保障されていなかった。来日を依頼したが恩師のアン・サリバンが重い病気にかかっていたため来日を躊躇した。ヘレンはアン・サリバンの協力もあり指を使ったコミュニュケーションを習得。20歳の頃にはハーバード大学に入学していた。その後、障害者の福祉向上の活動を

ヘレン・ケラーは日本へ行くことををアン・サリバンに相談。日本へ行っておあげなさいというアン・サリバンの遺言を胸にヘレンは56歳の時に日本へ向かった。

また講演の合間を使い、岩橋武夫はヘレン・ケラーを様々な場所に案内・日本を深く理解してもらおうとした。雲仙では温泉に入った。さらにヘレンは着物を着て畳に座るなど日本文化の魅力を体全体で感じ取っていった。ヘレンは日本の障害者を救いたいと政府の要人やマスコミに訴えた。

1937年(昭和12年)ヘレン・ケラーは初来日。岩橋武夫とともに障害者のための法律を成立させようと講演活動を始めた。この時は4か月以上滞在。全国33都市で80回以上の講演を行った。時折、アン・サリバンの死を思い悲しそうな表情を見せるヘレンを思い、岩橋武夫は厳島神社でアン・サリバンを追悼しようと企画した。

当時のヘレン・ケラーの肉声が記録されたテープが大阪芸術大学博物館で保存されていた。ヘレン・ケラーの訴えは日を追うごとに注目を集め、全国でブームが起こった。子供の頃に講演を新潟で聞いた山崎邦夫さんは彼女の考え方に沿って自分は行動してきたと話した。その後、1948年(昭和23年)に再来日。1949年に身体障害者福祉法が成立した。関宏之さんは日本の世論に大きなインパクトを与え勇気づけたと話した。

ヘレン・ケラーの日本の活動を橋渡ししたのは塙保己一という人物がもう一人関わっていたと紹介。日本の古典を収集して分類した群書類従を作成した。幼い頃にヘレンは母親のケイト・ケラーから塙保己一の事を教わった。ヘレンは辛い時も塙の事を思い出し、くじけずに努力することが出来たという。

キーワード
ヘレン・ケラー
アン・サリバン
岩橋武夫
きを
ハーバード大学
チャールズ・チャップリン
グラハム・ベル
秋田犬
石灯籠
雲仙(長崎)
身体障害者福祉法
大阪芸術大学博物館
塙保己一
ケイト・ケラー
群書類従

episode2 「博愛の人」ヘレンの原点 たった一度の恋愛秘話 (バラエティ/情報)
16:22~

若いころのヘレン・ケラーの写真を紹介。写真にはヘレンの文字が書いており、愛する男性に送ったとされるメッセージも発見された。ヘレンは幼い頃から指を使ったコミュニュケーションを覚えてきたが愛という言葉の意味を理解できなかった。サリバン先生に聞いても同じで、36歳の時にピーター・フェーガンと出会い、お互いに価値観が近いこともあり、愛の意味を知った。

2人は結婚することを決断したが勝手に結婚届けを出したことを知ったヘレンの家族が猛反発した。家族の目を盗んであっていたが家族に見つかり、銃をつきつけられて脅されたこともあり、ヘレンは二度とピーターと会うことを許されなかった。

ピーター・フェーガンはヘレンと別れた後、別の女性と結婚、その後、娘のアン・フェーガンさんが生まれた。父の死後、遺品からヘレンの写真を発見。結婚届けを出した日に書かれたヘレンの字を見つけた。

ヘレンはその後、これまでの福祉活動とは違う映画出演など以外なことに挑戦。タイトルは「救済」で人々の救済を訴えた。舞台にも登場。アン・サリバンとともに出演し、ウォーターの意味を理解した場面を演じ、大好評となった。

キーワード
ヘレン・ケラー
サリバン先生
ピーター・フェーガン
アン・サリバン
救済

episode3 ヘレンがスパイ!?来日の極秘ミッション (バラエティ/情報)
16:32~

ヘレン・ケラーが初来日した1937年。日本は戦争へと進んでいた。最近の研究で特別高等警察がヘレンを警戒していたことが分かった。ヘレンは以前から戦争に反対する活動を行っており、危険視されていたと平野優さんが紹介。来日した当時もフランクリン・ローズヴェルトから戦争を回避するように依頼されていた。ヘレンは来日中に政府高官の前で福祉向上に加え、日米の友好を訴えた。

平野優さんは戦争を防がなかったら戦争によって障害を負った人達が増えるのでヘレンとしては許せないということもあり、平和活動と表裏一体の関係だったと紹介。しかし、1937年に日中戦争が始まった。岩橋武夫はヘレンの身に危険が及ばないように帰国させた。1941年に日米開戦。帰国したヘレンに日本に原子爆弾が落とされたことが伝えられた。

ヘレン・ケラーは1948年に再来日。原爆が投下された広島に向かった。原爆ドームを訪れたヘレンは原爆の破壊力と恐ろしさを知った。自分の使命を果たせなかったことを責めていたヘレンに当時の広島市長・浜井信三が市民を代表して責めること無く希望を与えてくれたことに関する感謝の気持ちを伝えた。ヘレンのために作ったヘレン・ケラーの歌を合唱した。

広島・長崎で想いを刻んだヘレンは岩橋武夫にアフリカと南アメリカを・岩橋武夫はアジアを守ってくれと自分の使命を伝えた。ヘレンはその後、活動の場を広げ、世界20ヵ国以上で福祉と平和を訴えた。

1955年(昭和30)年にヘレン・ケラーは3度目の来日。その後、87歳でなくなるまで誰もが幸福に暮らせる社会の実現を訴えた、この活動を受け、ヘレン・ケラー・ナショナル・センターなどヘレンの理念を実践する団体がいくつも世界に出来た。国を超え、世代を超えてヘレンの活動は受け継がれている。

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ヘレン・ケラー
特別高等警察
フランクリン・ローズヴェルト
日中戦争
原子爆弾
岩橋武夫
浜井信三
ヘレン・ケラーの歌
ヘレン・ケラー・ナショナル・センター

エンディング (その他)
16:44~

日本で数多く出版されているヘレンケラーの伝記などにより、ヘレンの精神は今も多くの日本人に影響を与えている。吉田沙矢香さんは幼い頃に伝記に出会い、感銘を受けた。2年前に吉田さんはヘレン・ケラー・ナショナルセンターに留学。将来は障害のある人のために働きたいと活動している。ヘレン・ケラーの不幸のどん底にあってもこの世には自分にできることがあるのだと信じましょうという言葉を紹介した。

キーワード
ヘレン・ケラー・ナショナルセンター
ヘレン・ケラー
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