アスリートの魂 かすかな光を追い続けて 自転車ロードレーサー 新城幸也

アスリートの魂(アスリートのたましい)は、NHK総合テレビジョン→NHK BS1で放送されたスポーツドキュメンタリー番組。

出典:goo Wikipedia

放送日 2016年7月25日(月) 0:10~ 0:55
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
00:10~

リオ五輪の代表候補発表会見に松葉杖をついて臨んだのが自転車ロードレーサーの新城幸也選手だった。ヨーロッパでロードレースはサッカーと並ぶ2大スポーツとなっていて、最高時速は100kmに達し、標高300m級の山岳を登る。7月に行われたツールドフランスで、新城選手は2回目の敢闘賞を日本人で初めて受賞。敵の心理やレース展開を見極めて勝負どころを見極める洞察力に優れるも、五輪を前に選手生命を脅かす大怪我を負ったことで筋力が低下していた。再起をかけて向かったのは自身にとって原点となったタイで、復帰戦へと挑んだ。

キーワード
ツールドフランス
リオ五輪

かすかな光を追い続けて 自転車ロードレーサー 新城幸也 (バラエティ/情報)
00:13~

今年2月にレース中の事故に巻き込まれ、左脚大腿骨を複雑骨折し、選手生命をも脅かされた。だが、手術翌日に新城幸也選手は病室でつかまり立ちを開始し、帰国した3月には痛みに耐えながらリハビリに奮闘。筋力低下を懸念してギプスの固定を避け、ロードレーサーの生命線である足の感覚が狂わないように細心の注意を払っていた。3月17日に内間康平選手とともにリオ五輪代表に選ばれ、リハビリを間近で見てきた浅田顕ヘッドコーチは五輪で何かできるのは新城選手しかいないと期待感を示した。

4月には骨がほぼ繋がり、自力で足を動かせるまでに回復していた。だが左脚は一回り細くなり、ペダルを漕ぐ際に右足よりも意識的に力を入れてしまい、両足の力のバランスが崩れてしまっていた。

4月中旬、新城選手は医師から外で走っていいと許可を貰い、宮ヶ瀬ダムでロードバイクにまたがった。ケガをして以来初の走りとあって、日本のトップ選手の1人で友人の土井雪広選手がサポート。ペダルを踏み込む度に走る感覚を徐々に取り戻していったが、筋肉の衰え、崩れた左右の力のバランスは明らかに走りに影響を及ぼしていた。

6月にツール・ド・スイスが開かれ、176人の選手らによる熱戦が繰り広げられた。新城幸也選手はヨーロッパを主戦場とするランプレ メリダの一員として世界を転戦し、元世界チャンピオンのルイ・コスタ選手ら一流選手から一目置かれている。ロードレースの勝者は1人で、チームは1人のエースを勝たせるために残りの選手はアシストとして走る。ツール・ド・スイスではルイ・コスタがエースに指名され、新城選手はそのアシストを任された。レースで選手らはチーム毎に固まって走り、空気抵抗を少しでも軽減し体力の消耗を防ぐことを目的としている。アシストの役割はエースの風除けを務めること。

新城選手はルイ・コスタ選手を献身的にサポートし、仲間は8位入賞を果たした。コスタ選手、ペドラッツィーニ監督らからの信頼が厚い新城選手の武器はレース展開、敵の心理を読み取る優れた洞察力で、昨年10月には日本代表のエースとしてジャパンカップに出場。レース序盤はライバル選手らの様子を観察するために最後尾に位置取り、終盤にはアシストを風除けにして一気に前進。下り坂を利用して一気に加速し、先頭集団の最後の短距離ダッシュに加わった。そして3位入賞を果たした。

5月29日~6月5日に行われたツアー・オブ・ジャパンに出場した新城選手は骨折からわずか4ヶ月での復帰戦となった。石垣島から両親が応援に駆けつけたなか、レースがスタート。序盤には優勝候補のイラン人選手を組む3人が先頭を走り、新城選手はその後方の集団でライバルたちを観察。レースはハイペースで進む中、新城選手はケガの影響を感じさせぬ走りを見せた。残り10kmの地点で先頭を走る3人を捉え、最後の短距離ダッシュまで力を温存すると判断し、新城選手は残り600m地点の下り坂で勝負をかけた。そのまま先頭を走り、トップスピードを維持したまま最後の登り坂へと突入し優勝を飾った。レース後、新城選手は「かすかな光を求めて走り、そこに楽しさを見出している」と明かした。

新城幸也選手の父・貞美さんは石垣島の子供たちに自転車の面白さを伝えている。新城選手は父からロードバイクを貰い親子で楽しむことはあったが、中学・高校とハンドボールにのめり込んでいた。その後、高校3年の秋に日本のトップレーサーだった福島晋一選手、弟の康司選手が島を訪れ、新城選手は一緒に走ろうと誘われた。福島選手は諦めずに食らいつこうとする走りから素質を感じ、新城選手は03年にフランスのアマチュアチームに加入。初戦は落車してリタイアで終えるも、体験したことのないドキドキ感を覚えたという。

ロードレースに魅せられた新城選手は言葉もほとんどわからぬままに競技に没頭し、あらゆることを吸収していった。チームメイトはレースを重ねる度に進化する姿に舌を巻き、09年に新城選手はBboxブイグテレコムとプロ契約を交わした。ツール・ド・フランスには5回出場し、2012年のレースでは果敢な走りで敢闘賞に輝いて日本人初の表彰台に登った。爾来、日本のエースとして五輪でのメダル獲得が期待されていた。

5月、新城選手はタイ北部のチェンライを訪れた。10年前から毎年、合宿を行ってきた場所で、実戦に近い練習を行うとあって10人程の選手が合宿に参加してくれた。コースには信号がほとんどない上に平地から山岳まで起伏もあり、最高の練習場所と言えた。新城選手は走りこみを通して自分の筋肉がどういう状態なのか分析し、1日の終わりにはレース終盤で見られる短距離ダッシュの練習を行った。時速は60kmに達するも、全盛期には程遠かった。さらにペダルを漕ぐ左右の力のバランスも乱れたままで、新城選手はどうしたら解決できるのか自己問答を続けた。

リオ五輪まであと三ヶ月と迫るなか、本番のコース分析を土井雪広選手ともに協議を重ねた。土井選手は同コースを昨年に走った経験者で、最大の難所は石畳だと語った。パンクや落車といったリスクがあり、新城選手らは対策としてチェンライの合宿で未舗装の悪路を走った。路面を見極める観察力、高いバイクコントロールが要求されるという。5月中旬に入ると走行距離は3000kmを超え、新城選手は他の選手がついて行けないほど力強い走りを見せ、「自転車は裏切らない。苦しんだ分だけ返ってくる。やっぱり自転車が大好きです」と語った。

短距離ダッシュの練習では時速70kmのオートバイの後ろにつき、新城選手は「骨折が原因でペダルを漕ぐ両足の力のバランスは崩れたが、プロでもそれが崩れている選手がいるので速ければ、強ければ、勝利すればそれが正解となる世界でもある」と語った。

7月には世界最高峰のツール・ド・フランスで6回目の出場を果たし、敢闘賞を受賞した。次なる戦いはリオ五輪で、新城選手は「辛いことも好きにならなきゃいけないし、耐えなきゃいけない。全てを含めて好きになれるかどうか。後はちゃんと忘れないことです。苦しんだこと、楽しんだことを」とコメント。

キーワード
リオ五輪
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宮ヶ瀬ダム
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ツアー・オブ・ジャパン
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ロードレース
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石垣島
福島康司選手
ツール・ド・フランス
フランス
Bboxブイグテレコム
Es aumale
千駄ヶ谷(東京)
内間康平選手
チェンライ(タイ)
ツールドフランス

エンディング (その他)
00:53~

エンディング映像。

「アスリートの魂」のホームページアドレスがテロップ表示。

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