NHKスペシャル 「かくて“自由”は死せり〜ある新聞と戦争への道〜」

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2019年8月12日(月) 22:00~22:50
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
22:00~

4月に民族主義を掲げる団体が、総理大臣を襲撃して死に至らしめた佐郷屋留雄のために集結していた。戦後、民主的な政治を推し進めて国民から絶大な支持を得ていた総理大臣だった。この後、右派によるテロやクーデターが勃発した。右派は天皇が統治する国家体制を絶対視し、その破壊に繋がる社会のあり方を激しく糾弾していた。日本新聞が創刊されたが、その後日本は戦争へと突入していく。

キーワード
佐郷屋留雄
日本新聞

かくて“自由”は死せり ある新聞と戦争への道 (ニュース)
22:05~

小川元氏は明治期から衆議院議員をつとめ、日本新聞創刊者でもあった小川平吉の孫だった。小川平吉は司法大臣として治安維持法にかかわるなど、国粋主義者として知られていた。大正4年に日本新聞は発行され「日本主義」という思想を広めようとしていた。天皇が統治する独自の国家体制、いわゆる国体で日本を礼賛する記事を数多く発生させていた。創刊時、新聞の主張に賛同した会員には後に戦争を主導する事になる総理大臣の近衛文麿の名前などがあった。その一方で「日本主義」は古い世界として、言論や学術の世界から受け入れられていなかった。創刊初期の共産主義化によって国体化が破壊されるという危機感をあおっていた。当時は大正デモクラシーで、言論などの自由を主張していた。今回発見された日本新聞は3千日分で、見出しに使用されている言葉を拾い出してみた。すると、意に沿わない人物に対して「非国民」などとレッテルを貼り、攻撃していた事が明らかになった。

長野県飯田市では青年団の活動が盛んで、最新の思想を学ぶ勉強会が頻繁に行われていた。地元の歴史研究所に、青年団にかかわった人達の肉声が残されていた。中には小学校の音楽教師を勤めていた小林八十吉のものもあった。八十吉と同じ大地主に残されていた手紙が残されていた。手紙には地方の有力者を取り込み、周辺にその輪を取り込もうとするものだった。

 中谷武世は岸信介と親しく国の中枢と人脈を持つことになる人物だった。日本新聞では民俗学者として社説などを発表していた。各地の青年たちに日本主義を広める活動も行っていた。小林八十吉もそこに参加し、日本新聞をとったという。日本主義者達は議会政治も攻撃した。藩閥や元老など一部の権力者による政治が長く続き、普通選挙制度が導入されたのは1925年。立憲政友会の鳩山一郎は自由に議論を戦わせる政治を訴え、多くの国民がそれを支持した。

小川平吉の遺品からアジアの巨大な地図が見つかった。傀儡国家を作ることになる中国東北部がピンクで示してあった。浜口雄幸内閣が軍縮条約に調印。国民は軍縮を歓迎したが、日本新聞は浜口内閣は憲法違反というキャンペーンを展開した。統帥権を侵したという主張である。この統帥権が議会から自由な議論を奪っていくこととなった。軍部は統帥権を御旗にあらゆる意見を退けるようになっていくのである。1930年から日本は昭和恐慌で不況に転落していく。この状況に憤った青年たちが求心化した日本主義に共鳴していった。その1人である佐郷屋留雄が浜口雄幸を射殺した。佐郷屋の息子はその瞬間の様子を「申し訳ないと思った」と聞いたという。中谷武世はこの銃殺に関わっていたと後々明かした。

1931年に満州事変が勃発。音楽を教えていた小林八十吉は当時について「芸術教育は俺の時代はダメだったなという気がして小学校を辞めた」と語った。少し前まで軍縮を歓迎していた人々は閉塞した社会状況の中で満州への進行に熱狂した。日本主義者たちは満州事変を聖戦と礼賛した。そして国会改造を訴えるテロやクーデターが連鎖していき、国民の多くはテロリストたちに同情を寄せるようになっていった。その頃小林八十吉は日本主義の政治活動に加わったという。

1935年に日本新聞に頻出するようになった機関説 という言葉。天皇機関説とは天皇を法人としての国家の最高機関に位置づける考え方で、大正デモクラシーを支えていた美濃部達吉の憲法解釈。美濃部を糾弾した思想家蓑田胸喜は天皇を崇拝していた。陸軍は日本新聞での蓑田の機関説攻撃を利用した。陸軍大臣の林銑十郎は議会で天皇機関説を明確に否定し、国民もその運動に加担していき、天皇機関説は葬り去られた。美濃部は銃撃され、重傷を負った。この年日本新聞は休刊を宣言した。小川平吉は1942年にこの世を去った。そして太平洋戦争に突き進んだ日本は国土が焦土と化した。蓑田胸喜は敗戦から半年後に自殺していた。小林八十吉は大政翼賛会として戦争への協力を呼びかけ続けた。1945年7月13日から終戦の日まで八十吉の日記を切り取られていた。

キーワード
日本新聞
小川平吉
近衛文麿
平沼騏一郎
東条英機
大正デモクラシー
飯田市歴史研究所
飯田市(長野)
中谷武世
小林八十吉
岸信介
鳩山一郎
立憲政友会
浜口雄幸
北一輝
佐郷屋留雄
立憲民政党
東京朝日新聞
東京日日新聞
統帥権
昭和恐慌
古賀不ニ人
井上準之助
犬養毅
満州事変
血盟団事件
五・一五事件
蓑田胸喜
美濃部達吉
林銑十郎
盧溝橋事件
太平洋戦争

エンディング (その他)
22:48~

エンディング映像が流れた。

NHKオンデマンドで配信のテロップ。

キーワード
NHKオンデマンド

番組宣伝 (その他)
22:49~

BS1スペシャルの番組宣伝。

世界はTokyoをめざすの番組宣伝。

「かんさい熱視線」の番組宣伝。

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