NHKスペシャル 「日本人と天皇」

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2019年4月30日(火) 20:00~20:55
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
20:00~

これから行われる一連の儀式、天皇の知られざる伝統の姿が現れる、それは神に向き合い祈る姿。天皇の祖先は天照大神を始めとする神々であるとの神話に基づいているからだった。初代、神武天皇から始まり、古代については存在が疑われいつから続いていたのか諸説あるが現在まで125代。天皇と神の知られざる関係とは。日本人と天皇どんな伝統を継承し時代に合わせて何を変えていくのか。平成最後の日、知られざる歴史を辿りながら新たな時代の天皇のあり方を見つめる。

キーワード
皇居
神武天皇
天皇陛下
天皇

日本人と天皇 (その他)
20:04~

30年前、象徴天皇として即位された天皇陛下はこの時、神に祈る儀式を継承する考えを示されていた。天皇が行う儀式とはどのようなものなのか、30年前の平成の即位、これと同じ浸透由来の儀式が5月1日から行われる。剣璽等承継の儀は三種の神器の内、剣と曲玉を受け継ぐ儀式。天照大神から伝わる三種の神器を受け継ぐことで天皇となると考えられている。賢所大前の儀は鏡を通じて、即位したことを天照大神に伝える。鏡は平安時代になんども火災にあい損傷しているとも。その後複数の鏡が用意されたとも言われているが公開されたことはない。三種の神器を使った儀式の原型は古墳時代にも遡るとも言われている。即位した天皇が行う極めて重要な儀式が奈良時代から始まったとされる「大嘗祭」だった。皇居に特別につくられる2つの宮殿の中で、天皇が全国の農作物を神に供え、国の安寧と五穀豊穣を祈る儀式。平成の時は東御苑に仮設の建物が建てられた。大嘗祭にかかった費用は22億円余。大嘗祭について研究してきた岡田荘司さんは日本人を代表して神に祈る大切な儀式だと話した。宮殿の中で何が行われているのかこれまで公にされたことはない。番組では複数の研究者や平成の大嘗祭に関わった人たちの取材をもとに儀式の再現を試みた。大嘗祭のあり方は時代とともに変わっていた。戦国時代から約200年間中断し、江戸時代中期に復活した。明治に入ると宮殿の規模は拡大し現在の規模に至っている。日本国憲法のもとで初めて行われたのが平成の大嘗祭、神道色の強い祭祀に22億円もの国費を投じることの是非が問われた。憲法には国はいかなる宗教的活動もしてはならないという政教分離の原則がある。皇位継承の儀式からみえてきた神と天皇の深いかかわり、時代を遡ると仏教とも深いつながりがあったことも分かってきた。

京都にある真言宗、泉涌寺、鎌倉時代から江戸時代まで、39人の天皇や皇族が埋葬され御寺と呼ばれている。幕末の孝明天皇が亡くなった日には毎年、僧侶も加わり皇族による神道のお祀りが行われる。そのあと寺による仏教の法要が行われるなど、神道と仏教が一体となった姿が今も残されている。この寺には仏教の影響を受けた天皇の秘密の儀式が伝えられている。天皇にまつわる文書には鎌倉時代から江戸時代まで皇位継承の際に行われた即位灌頂という儀式が記されていた。手に印を結び口で呪文を唱えて心の中に「われこそは天皇なんだ」という観念をする。唱える言葉はインドのサンスクリットの文字で書かれていた、天皇と神と仏を1つにする呪文は「ボロン」だった。当時大きな影響力を持った仏教の力も借りて即位していた。伏見天皇から孝明天皇まで500年以上に渡って行われていた。住職の石野浩司さんは「日本の伝統からいきますと、神と仏と両方居た時代の方が圧倒的に長い、時代によって天皇像というのはくるくると変わっていってどれが正解という姿はない。その時代時代に国民が求める天皇像がある」などと話した。

皇位継承の儀式には時代に応じて変わる日本人と天皇の関係も映し出されている。天皇が権力を奪われ政治から遠ざかっていた江戸時代。明正天皇の即位の儀式を描いた絵図には儀式を飾る重要な旗に子どもが手を触れていた。他にも子どもや庶民が書かれていた。この頃の即位の儀式には庶民も入場券をもらい見物することができたという。即位の姿が大きく変わったが天皇を中心とした国造りが始まった明治だった。明治天皇の即位の絵図には庶民は描かれてなかった。この頃には庶民の見物は許されずなかった。さらに今までになかった巨大な地球儀が置かれていた。記録によれば天皇が日本地図に左右交互に足を起き日本に君臨することを示すためのものだった。海外の列強を意識し近代国家への道を踏み出そうとする政府の思惑が天皇の即位の儀式にも大きな影響を与えていた。

125代にわたり続いてきたとされる天皇。唯一変わらなかったのが皇位継承を男系に限るという伝統。男系とは父方の親をさかのぼると必ず天皇につながる血筋を意味する。女性の元正天皇の場合、父方をたどると祖父の天武天皇に行き着くため女性でも男系の天皇ということができる。仮に元正天皇が皇族以外の男性と結婚した場合、子どもが生まれても父方は天皇に繋がらないため、子どもは天皇になることはできない。男系の伝統は明治の皇室典範によってより限定されたものになった。皇位継承資格を男系の男子のみとし女性の天皇を認めないことにした。この半世紀あまりの間に生まれた男性皇族は悠仁さまのみ。1日に皇太子さまが天皇に即位されると、皇位継承の順位は秋篠宮さまが1位で、悠仁さまが2位になる。3位の常陸宮さまは83歳。今後、男性の皇族が誕生しなければ悠仁さまだけになるという可能性もある。

男系男子の規定を続けるのかどうか大きく問われたことがあった。戦争に負け、日本国憲法が制定され、天皇は国の統治者から象徴になった。GHQの意向で皇室は大幅に縮小、11の宮家、51人の皇族が民間人となった。新たに作られた皇室典範の草案では皇位は男系の男子が継承するとされ戦前のまま変えられなかった。法律の制定に向け準備を進めていると三笠宮崇仁親王が異論を唱えていたことがわかった。入江俊郎の遺品の中に三笠宮崇仁親王の直筆の資料が残されていた。三笠宮は軍の暴走を止められなかった反省から今後の日本のためには、皇族が率先して民主的に変わる必要があると考えていた。意見書には女性天皇のことについても触れられていた。さらに、天皇にも基本的人権を認め場合によっては地位を退く選択を与えるべきだと主張していた。しかし議事録によれば枢密院で三笠宮の意見について議論された形跡はなかった。三笠宮はその後も新聞を通じて法案への不満を表明していた。

この問題が再び問われる用になったのは半世紀後、平成13年愛子さまのご誕生がきかっけだった。皇太子さま、雅子さまに待望のお子様が生まれたことで女性天皇を議論する気運が高まった。平成17年、小泉総理は皇室典範に関する諮問会議を設置した。多くの天皇は皇后の他に、第二夫人、第三夫人にあたる側室がいたが、半分の天皇が側室の子どもだと見られていた。過去400人では、側室の子ども出ない天皇は明正天皇、昭和天皇、天皇陛下の3人。諮問会議は皇位の継承順位について男女を区別せず直系の長子を優先するという最終報告を出した。これを受けて翌年政府は、女性天皇・女系天皇への容認にも舵をきった。元最高裁の園部逸夫さんは女系であっても皇室の血がつながれば天皇の伝統は保たれると考えたという。しかし猛反発したのが男系の伝統を重視する人たちだった。大原康男さんは皇室の伝統が断ち切られてしまうと考えている。結局この問題は悠仁さまの誕生で棚上げとなり法案提出は見送られた。古川貞二郎さんは皇位継承の問題は女系を含めてすぐに議論しないと間に合わなくなると考えている。男系を維持すべきと訴えてきた人たちは旧宮家の子孫を皇族に復帰させることに期待している。男系が続く家の男子に女性皇族と結婚するか皇族の養子になってもらい男系の血を繋ぐというものだった。番組は男系が続いている家に、復帰する気持ちはあるのか訪ねたが、いずれもコメントは差し替えたいという回答だった。三笠宮崇仁親王は晩年ラジオで女帝になっても配偶者になる方がいないんじゃないかと思うんですね今の日本人ではなどと話していた。

キーワード
天皇陛下
昭和天皇
剣璽等承継の儀
天照大神
三種の神器
賢所大前の儀
平治物語絵巻
三角緑神獣鏡
奈良県立橿原考古学研究所
大嘗祭
真言宗
泉涌寺
三笠宮彬子さま
孝明天皇陵
孝明天皇
即位灌頂
伏見天皇
豊臣秀吉
明正天皇
明治天皇
宮内庁
元正天皇
悠仁さま
秋篠宮さま
常陸宮さま
GHQ
吉田茂
入江俊郎
皇室典範
三笠宮崇仁親王
枢密院
愛子さま
雅子さま
小泉純一郎

エンディング (バラエティ/情報)
20:53~

エンディング映像。

番組宣伝 (バラエティ/情報)
20:54~

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