NHKスペシャル 「“震災タイムカプセル” 拝啓 二十歳の自分へ」

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2019年3月13日(水) 1:37~ 2:20
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
01:37~

東日本大震災で津波に襲われた岩手・山田町。800を超える人が命を奪われた。町の小学生が見た変わり果てた町の姿。卒業間近の6年生の多くが家や家族を失った。あれから8年、あの時の6年生は今年成人式を迎えた。20歳になったらみんなでやろうと決めていたことがあった。それは震災のすぐあと、母校の大沢小学校を卒業するときに20歳になった未来の自分にあてて手紙を描くという毎年恒例の行事。中止の声もあったがみんなの希望でやることになったそう。20歳になったら集まって一緒に開けようと約束をした。そして今届いた手紙、8年前の自分は今の自分にどんなことを書いたのか。

キーワード
東日本大震災
山田町(岩手)
津波
大沢小学校

“震災タイムカプセル” 拝啓 二十歳の自分へ (バラエティ/情報)
01:40~

物語の舞台は山田町の大沢地区。だいぶ暮らしが戻ってきたがまだまだ空き地も目立つ。成人式の前日、タイムカプセルを埋めたみんなが集まってきた。みんなが卒業したとき6年生は1クラス29人、この日集まったのは18人と担任の先生。目印の石を発見。探し始めて40分、ようやく発見。体育館に行き、先生が手紙を配った。佐藤先生の指名で立ったのは佐々木さん、手紙を読み上げた。佐々木さんの家は津波で全壊、20歳になった今は地元の電子部品工場で働いている。小原さんは保育士を目指して仙台で勉強中、津波では仲良しの友達を亡くした。続いて呼ばれたのは福士さん、津波で家が壊され、仮設住宅で4年以上暮らした。

雅さんは看護師を目指し看護学校で学んでいる。きっかけは震災直後の経験で、大沢小学校は住民の避難所になっており、雅さん達小学生は肩叩き隊を結成し、避難所で疲れた高齢者の肩をもむなどしていた。感謝の言葉をもらう亊で人を支える事が喜びになったという。看護学校では寮生活を送っており、週に1度は山田町の実家に戻る。母の由紀子さんは女の手一つで雅さんら3人姉妹を育ててきた。実は雅さんが看護師を目指した直接的なきっかけは、由紀子さんが長引く避難生活で耳が聞こえにくくなり、さらにくも膜下出血で倒れた時に付き添ってくれた看護師さんに憧れたとのこと。雅さんの現在の悩みはどこの病院で働くか?母のいる実家の近くで働きたいと思っていたが、一方で大きな病院でより高度な医療を学びたい気持ちも出てきた。自分が望んだ将来とはどんなものだったのか。

先生に促され整列を始めた5人は自衛官や警察官、消防士、海上保安官など制服の仕事の面々だった。上澤さんは被災地に救助に来ていた自衛隊に憧れ陸上自衛隊に入隊した。タイムカプセルには「大地震の事は忘れないで欲しい」と書かれてあった。津波で家が全壊になった中村奈緒さんは、20歳の自分に何の仕事をしているのかな?と問いかけていた。現在、奈緒さんは三沢基地の航空自衛隊だった。自分も人を助けたいと思ったという。警察官になった大川海成さんは「優しい心を忘れずしっかりとした人になってほしいと思う」などと手紙には書かれていた。

最後に指名された福士優斗さん。タイムカプセルを開けようと今回皆に呼びかけた。東京でアルバイトをしながら短期大学で学びこの春卒業し社会人となる。すでに就職先東京メトロに内定している。東京で鉄道員として働くことは幼い頃からの夢だった。あの日、津波は優斗さんの家の前まで押し寄せいていたがギリギリで無事だった。周りには家族を失った人が多く被災者として発言することをずっと控えてきた。優斗さんは大学の卒業論文に東日本大震災とその復興をテーマに選ぶことにした。優斗さんの方針は自分の体験には触れない方針。タイムカプセルの手紙には”頑張れ未来の優斗”とありふるさとの復興の力になれと励ましていた。

優斗さんは、ふるさとを離れる前にどうしてもしておきたいことがあった。東京に戻る前に、タイムカプセルを開けた椎屋亜聖さんと一緒に釣りがしたかったという。亜聖さんの仕事は潜水士で、日ごろ復興に携わっている。防潮堤の建設や、壊れた漁港の修復など、海の復興の最前線で働いている。ふるさとの復興に背を向けるような自分の就職をどう思うのか。これまで避けてきた震災の話題を、優斗さんは自分から切り出した。「地元を復興したいと思ったからダイバーになった」と語る亜聖さん。優斗さんに対し、「自分がやりたいことがあれば他のところで頑張ればいい。こっちで出来ないことをあっちで出来ることもある。そういう気持ちであっちで頑張ってほしい」などと話した。亜聖さんに見送られ、優斗さんはふるさとを後にした。

タイムカプセルを開けた日に来られなかった人にも、クラス全員に手紙を届けたい。担任の佐藤はるみ先生は、盛岡の専門学校でロボット工学を学んでいる山崎裕也さんに手紙を手渡した。裕也さんは、タイムカプセルを埋める大役を務めた。手紙には「もっと良い町にしよう」と書いていたが、滅多にはふるさとに帰らないという。裕也さんは、「盛岡に住んでしまうとこっちの生活が便利で戻れなくなる」などと話した。裕也さんは、被災地の復興に役立つロボットを開発しようと専門学校で勉強している。「災害が発生した時とかに無人で動かせるロボットがある。人の役に立てるロボットを作ることが夢」などと語った。

東京に戻った福士優斗さんは、卒論の方針を変えようとしていた。山田町の実家で今回見つけた写真や動画は、震災直後に自分で撮ったものだった。福士さんは変わり果てた近所の風景が映された動画を見て、亡くなった人の事も思い出していた。あの体験を伝える事が東京で生きる自分の役目だと感じた福士さんは、教官に作り直した論文を見せた。福士さんは論文でようやく自分の気持ちを表すことができたという。

タイムカプセルの手紙に母を支えて欲しいと自分宛てにかかれていた雅さん。都会の大きな病院か、地元の病院かで悩んでいた雅さんは希望の病院を地元の県立病院に選んだ。地元の県立病院でも自分次第で医療を学べると考え、地元の病院を選んだ。

小学生の時に書いた手紙には「お母さんを支えてあげてください」「そして明るい人でいてください」「ぜったいお母さんを困らせないでね」と、書かれていた。周りから「その通りだよ」と答えてあげてと声があがった。改めて手紙を読んで雅さんは「今の自分にすごい響くなと思う」と、大きい病院と地元の病院を選ぶ葛藤にいた。

手紙に書かれたメッセージは人それぞれ。箱石量子さんは自分で何が書いたか思い出せず、おそるおそる手紙を開けていた。そこには夢に向かってがんばれ!と書かれていた。あの日、可愛がってくれた叔父を亡くした量子さんは後悔しないように生きようと思っていると話す。量子さんの夢は得意の英語を使って海外で働くことで、世界に繋がると考え羽田空港のグランドスタッフになり夢への第一歩を踏み出した。しかし現実は想像と違い、年の瀬にこの仕事を辞めた。そして故郷に戻ってきたばかりだったが、そんな時に届いた過去の自分から手紙。海外で働くという夢の実現に、また向かおうとしていた。

東日本大震災がその後の人生を変えた山田町大沢小学校の6年生29人。タイムカプセルで20歳の自分に届いたあの日のメッセージを胸に、またそれぞれの道を歩んでいく。

キーワード
東日本大震災
山田町(岩手)
津波
大沢小学校
くも膜下出血
陸上自衛隊
三沢基地
航空自衛隊
東京メトロ
東京交通短期大学
池袋(東京)
盛岡(岩手)
東京都
羽田空港
羽田(東京)

エンディング (その他)
02:19~

エンディング映像。

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