NHKスペシャル 選「人生の終(しま)い方」

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2018年12月24日(月) 11:00~11:50
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
11:00~

桂歌丸が「今日はみなさんと、”人生の終い方”について考えたい」「誰だってあっちへ行くことはわかっているが、事切れるまでの限られた時間に、人生の総決算として何をしたらいいか」と述べた。

超高齢社会で、遺影の準備に墓地の抽選、様々な終活がブームになっている。今日考えるのは、こうした準備ではなく「人生の終い方」。死を意識してから亡くなるまでの最期の日々、何をするか、大切な人に何を遺すか。番組ではラジオ深夜便などでエピソードを募集し、およそ500人から寄せられた。ある夫婦は、無口で頑固な夫が無くなる数日前に遺した言葉が妻に生きる力を与えた。余命わずかの35歳の父親は、幼い子供にどんな言葉を残せばいいか悩み続けている。桂歌丸は体力の限界を理由に、今日笑点の司会を引退した。それでも今後も高座に上がると決めている。心に秘めた人生の終い方とは。

キーワード
ラジオ深夜便

人生の終(しま)い方 (バラエティ/情報)
11:04~

都内で開かれた水木しげるさんのお別れ会には8000人が集まった。水木さんは死ぬまで漫画を書き続けると病床でも絵筆を手にし続けた。しかし亡くなる半年前、突然漫画の執筆をやめた。その前後から家族との写真を夢中で撮り始めた。21歳で陸軍に入隊した水木さんは阿鼻叫喚の中戦友たちが死んでいくのを目の当たりにした。その表情は水木さんから消えることはなく、戦争の悲惨さを漫画で書いた。妻の布枝さんは「後姿の立ち上るオーラに声もかけられませんでした。ごはんの支度ができたからと行くと一生懸命に描いていた」と語った。同じ場所、同じ顔ぶれの写真を何度も撮っていたという。長女の尚子さんは「この幸せな時間を切り取っておきたいとうこと。家族と一緒に写っている写真は幸せの記録」と語った。ゲーテは「見よ よきものは身近にある 幸福はいつも目の前にあるのだ」と残している。水木さんは漫画でも遺言でもなく自分の笑顔の写真を残して旅だった。

末期の食道がんを患う66歳の桑原誠次さんは余命わずかと知り、葬儀などの準備を自分で整えた。郵便局員として務め上げた団塊の世代。桑原さんは妻と息子と娘に手紙を渡した。妻への手紙には「定年退職してこれからというときにこうなってごめん。いろいろつくしてくれてありがとう。一番の思い出は自分が親になったとき。自分がしっかりしなきゃと思いました。今は二人共立派なパパとママ。もう安心です」などと書かれていた。娘は「生まれてから、今日までの思いが伝わってきた」と語った。そのひと月後桑原さんは亡くなった。残された妻は夫からの手紙が今を生きる支えになっているという。妻は「こんな手紙を遺してくれるとは思いませんでした。ありがたいです。さびしい時に読んだらまた元気が出る」と語った。

桂歌丸さんは「ちゃんと考えて伝えてくれれば受け取った人にとっても力にもなり、支えにもなる」「私もなんといっていか。難しいですね」「私も今から真剣に考え始めている」と語った。

桂歌丸さんに密着。7年前に亡くなった親友の三遊亭圓楽さんは、亡くなる前、圓楽さんは歌丸さんに電話で「歌さん、頼むよ」と伝えた。歌丸さんは「いちばん頼むって言ったのは落語界のことあるいは落語のこと。それだけで大体わかりましたのでいいよって電話を切った」と語った。以来亡き友に託された落語界を背負った歌丸さんだが、まもなく80歳を迎え、車いすで移動する生活となっている。医師に止められながらも全国を飛び回り月の3分の2以上高座にあがることもある。百年以上前の古典落語「塩原多助一代記」は歌丸さんの他に演じる人はほとんどいない。伝統の話芸を守り、次の世代に伝えるまではやめるわけにはいかないという。歌丸さんは「責任を果たさなければならないと思う。生きている以上は頑張ってやらなきゃならない」と語った。三遊亭小遊三さんは「(気迫に)畏れを感じる」と語った。春風亭昇太さんは「ものすごい落語に対して真摯な師匠、見ていていちばん感じますね」と語った。落語界を託してもいい人について歌丸さんは「三人います。三人が三人とも頼むって言った時にいてくれればいいけど、もしかしたら欠けるかもしれないし、こちらが先に欠けるかもしれないけど、私が思っているのは3人います」と語った。

ラジオ深夜便に届いたお便り。裁判官の杉田宗久さんは末期がんの宣告をされ、大学教授に転身をした。抗癌剤を打ちながら亡くなる2か月前まで教壇に立ち続けた。教え子たちは司法修習生となり、杉田さんの志を受け継いでいるという。

トラックの運転手だった男性は自宅のアパートでたった一人息絶えた。自然や動物が好きで長年乗馬クラブに通っていた男性は亡くなる日はいつもより多めの人参を手に愛馬を訪ねたという。

末期がんで余命数ヶ月と告げられた35歳の小熊さん。看護師の妻と、二人の子どもと暮らしている。小熊さんは「娘が小学校の入学式まで頑張ろうねと話している時に、息子が 俺が中学生になるまで と言って。だから頑張らないとな。きっと僕もなにかチャンスがあって、見られるんじゃないかなって希望は捨ててないので」と語った。しかしがんは全身に転移し、娘の入学式に出席できるか厳しい状況となった。小熊さんは休みのたびに子供たちとでかけ、スポーツやキャンプなど様々なことを教えてきた。息子は父を元気づけようと父に教わったスノーボードの試験に一人で挑戦した。小熊さんは自分がいなくなったあと、子供たちに伝えたいことを携帯電話に吹きこもうとしている。しかし小熊さんは「頑張れという言葉は出てくるが、それ以外の言葉が出てこない。ひとつのことにひとつのことを返すことはできるけど、伝えたいことは山ほどある。これから一緒に経験を積んで教えていきたいことがたくさんありすぎる」と語った。

50年間一人で居酒屋を切り盛りしてきた高松ハツエさんは一年前、末期の肺がんと診断された。痛みがあるが、軽度の知的障害のある66歳の娘を一人残すわけにはいかないので入院はしていない。容体が急変した高松さんは緊急入院となった。お見舞いにきた娘に「あなたも気をつけてね」と最期まで自分の体より娘のことを気にかけていた。ひと月後高松さんは息をひきとった。

軽度の知的障害のある娘を残し、亡くなった高松ハツエさん。ハツエさんの店のかつての常連客たちは娘を励ますために偲ぶ会を開いた。娘を案ずる高松さんの姿を常連客達はずっとみていた。娘は「昔から知っている人も大勢来てくれていちばんうれしいです」と語った。娘に何も残せなかったと悔やみながら旅立ったハツエさんだったが、支える人の輪を残していた。

子供たちに伝える言葉で悩んでいた小熊さんは、これまでにない激しい痛みにおそわれていた。息子の10歳の誕生日だったが、起き上がることもできなかった。様態が少し回復した小熊さんは残された力を振り絞って家族旅行にいくことを決断した。小熊さんは「子どもが何か不安になった時とか行き詰まった時とか、そういう時に自分のことを思い出してもらっておやじも頑張っていたなと思える頑張れるのではないか」と語った。向かったのは家族でよくでかけた温泉。身体の負担が大きくてこれまで入れなかった風呂には、子供たちと入った。夜は娘が「パパの病気とがんが治りますように」と乾杯をした。その四日後、小熊さんは息を引き取った。

小熊さんの告別式で娘は「パパがいなくなっても大丈夫だからね。パパありがとう」と語りかけた。息子は「亡くなる4日前なのに元気だった。つらいのにつらいのを見せようとしなかった。強かった」と語った。小熊さんが楽しみにしていた娘の入学式に参加した3人。息子は「天国からきっと見てると思う」と語った。辛い時があったら旅行のときのパパの姿をみようと決めて、3人は前へ進みだした。

桂歌丸さんは「人生のしまい方も十人十色。これが決まりというのは無い。一生懸命生きていればきっと何かを残すことになるんではないでしょうか。人生のしまい方を考えるのはどう生きていくのか考えること」「私もまだまだ頑張って高座の上でお笑いを喋りながら、家族みんなと喋りながら、笑いながら終わりたい」と語った。

キーワード
水木しげるさん
塩原多助一代記
三遊亭圓楽さん
ラジオ深夜便
杉田宗久さん

エンディング (その他)
11:48~

エンディング映像。

番組宣伝 (その他)
11:49~

NHKスペシャルの番組宣伝。

アニメーションが流れた。

激走!自転車山岳王レース 台湾3000mの頂へ駆け上がれの番組宣伝。

激白!西野朗×岡田武史の番組宣伝。

スポット

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