NHKスペシャル 届かなかった手紙 時をこえた郵便配達

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2018年8月22日(水) 0:43~ 1:32
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
00:43~

戦時中、日本兵が恋人や家族に宛てて書いた手紙が相次いで見つかっている。故郷の家族から前線の兵士に宛てた手紙も発見され、国立太平洋戦争博物館に収蔵されている。取材班は新たに見つかった手紙の宛先から遺族を探し出し、手渡してきた。

キーワード
テキサス州(アメリカ)
フロリダ州(アメリカ)
国立太平洋戦争博物館
軍事郵便
セブ島
ルソン島

届かなかった手紙 時をこえた郵便配達 (バラエティ/情報)
00:46~

戦場の兵士と故郷の人々を結んだ軍事郵便の調査をする軍事郵便保存会では海外のオークションなどで17万通を収集し、家族の元へ届かなかった手紙を探している。戦時中、戦場から持ち去られた手紙は推定10万とも100万とも言われる。ある手紙はパラオから家族に宛てたものだが、米軍上陸により出すこともできず、兵士は手紙を所持したまま戦死したと考えられるという。

ペリリュー島に派遣された兵士が妹さんに宛てた手紙を紹介。記録によると、昭和19年9月15日、ペリリュー島に米国軍が上陸し、日本軍1万人のほとんどが戦死したとされる。取材班は同兵士の実弟である茂木芳雄さんのもとを訪れた。芳雄さんによると、姉のときさんは聾唖者で、兄が両親を説得し、学費も捻出して聾学校に通学させたという。手紙を読みながら芳雄さんはお兄さん、ときさんとの懐かしい思い出に浸っていた。ときさんは聾学校で裁縫技術を学び、子供服の会社に就職。後に家庭を築いた。神奈川・川崎市の介護施設で生活し、「兄のおかげで自慢の息子や孫にも恵まれ、今は安心して暮らすことができています」と手話で語った。

アメリカ・ワシントンの国立公文書館にはアメリカ軍が情報収集のために接収した日本兵の手紙が収蔵されている。

アメリカの国立公文書館で遺言書と書かれた手紙を発見した。差出人が戦った舞台はガダルカナル島で、開戦以来、最も多くの犠牲者を出した戦場だった。所属部隊を調べると名前は渡部昇氏で、遺族は福島・昭和村で暮らしていた。妹の渡部静子さんは手紙を読んでいると自分のことが綴られているのに気づき、亡兄が妹や弟を最後まで気にかけてくれたことを知り、涙ぐんでいた。記録によると、渡部氏らは5倍を超える敵に銃剣で突撃し、戦死した。遺言書では柳行李を焼却処分して欲しいとの文言があったが、今も家の蔵に残されていた。中には昇氏の写真、革のブーツが収められ、静子さんは「あんちゃんもうかばれる」と語った。

戦時中、子どもたちは前線の兵士への激励の手紙を書くよう指導された。軍事郵便は戦意高揚を図る国策でもあった。

テキサス州の国立太平洋戦争博物館にはアメリカ兵が戦利品として持ち帰った日本兵の手紙が収蔵され、1人の日本兵に家族が宛てた34通の手紙が見つかった。この兵士の名前は西春市氏で、硫黄島に出征した。

硫黄島に出征した西春市氏が大切に持っていた手紙には出征の最中に生まれた男児について、頻繁に記されていた。取材班は西氏の長男である西功氏のもとを訪れた。手紙を綴ったのは母のトキエさんで、西氏の妻にあたる。また、手紙に書かれていた男児は末っ子の昭壽氏だという。最後の手紙から2ヶ月後の昭和20年2月19日、米軍が硫黄島に上陸。記録によると西氏は翌月に戦死したとみられる。次に取材班は昭壽氏のもとを訪った。家族の中で唯一、父の顔を知らない昭壽氏は父の人生に自分が存在していたのを知り、涙を拭った。

軍事郵便保存会の調査で、フィリピン・ルソン島で戦った電信部隊の兵士らが綴った8通の手紙が見つかった。

軍事郵便保存会の調査で、フィリピン・ルソン島で戦った電信部隊の兵士らが綴った8通の手紙が見つかった。文面は昭和20年の正月を祝う内容で、手紙はいずれも同年9月2日に米軍に接収された。兵士たちの任務は軍の通信網を維持することだったが、昭和20年1月9日に米軍が島に上陸。8人の1人、田中三男氏の故郷は蛎浦島で、弟で御年80歳の誠さんは亡兄が綴った手紙を読み、仏壇に供えて手を合わせた。

熊本に暮らす柏原健志氏は電信部隊だった父を持ち、尊父は戦後に生存した兵士と部隊の記録をまとめていた。米軍の上陸後、兵士たちは手紙を所持したまま移動を余儀なくされたなか、山下奉文司令官は永久抗戦を命じた。元電信隊員の神頭敬之介氏によると物資が欠乏するなか、壮絶な飢餓が立ちはだかり、「死んだら、私の肉を食べてくれ」と言い残す兵士がいたという。その後、部隊はハバンガンで追い詰められ、1万数千人の日本兵が犠牲となった。8月に部隊は投降し、すべての荷物や書類は米軍に接収された。先述した電信部隊8人のうち、生存したのは2人、戦死は4人、残る2人は記録に残されていない。

村上榮一氏は終戦直前にハバンガンにて、25歳で戦死。妹の幸子さんは家族が建てた観音像で今も読経を欠かさないという。取材班から榮一氏が携えていた手紙を託されると、幸子さんは懐かしさから落涙した。家族に届くことのなかった手紙、一通一通に戦争によって引き裂かれた人々の物語があった。

キーワード
軍事郵便
軍事郵便保存会
パラオ
茂木初男
ペリリュー島
川崎市(神奈川)
国立公文書館
ワシントン(アメリカ)
ガダルカナル島
昭和村(福島)
渡部昇
テキサス州(アメリカ)
国立太平洋戦争博物館
硫黄島
八女市(福岡)
西春市氏
西トキエさん
広島市(広島)
フィリピン
ルソン島
野口勝二
田中三男
小早川司郎
福岡利美
羽山春一
長廻虎次郎
板谷雅夫
村上榮一
サンフェルナンド(フィリピン)
蛎浦島
熊本市(熊本)
山下奉文
ハバンガン(フィリピン)
板谷雅夫氏

エンディング (その他)
01:31~

エンディング映像。

スポット

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