NHKスペシャル シリーズ遷宮 第1回「伊勢神宮〜アマテラスの謎〜」

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2016年1月2日(土) 5:10~ 6:00
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
05:10~

伊勢神宮は天照大神が祀られている。出雲大社は、大国主神を祀る。2013年、この2つの神社が遷宮の年を迎えた。2013年10月2日の伊勢神宮の遷御の儀が紹介された。神々を祀る社殿を20年に1度建て替える。皇居では同じ時間に天皇陛下が庭先にたち、伊勢に向かって遥拝されているという。伊勢神宮の権禰宜・吉川竜実さんは「伊勢神宮の祭祀のトップは天皇陛下」と語った。民俗学者の新谷尚紀さんは「天照大神という名前と持統天皇は密接な関係があるのではと考えられる」と語る。

キーワード
遷御の儀
持統天皇
大国主神
天照大神
天皇陛下

伊勢神宮~アマテラスの謎~ (バラエティ/情報)
05:13~

伊勢神宮では1年に1500を超える神事が行われている。神宮の中心にある内宮に祀られているのが天照大神。天皇は天照大神の子孫と伝えられている。20年に1度、東西隣り合わせの敷地に、社殿を造り替えてご神体を移し替える式年遷宮が行われる。

遷御の儀の様子を紹介した。日本書紀の天岩屋神話によると、「ある日、天照大神がいる天上の高天原で、弟の素盞鳴尊が大地を唸らせ登ってきた。素盞鳴尊は、天照大神が大切にしていた田んぼを壊すなどの狼藉をはたらいた。怒った天照大神は、天岩屋にこもった。太陽の神・天照大神が、姿を隠すと国中が闇に閉ざされ災いが起きた。八百万の神々は困り果て、長鳴鳥に長鳴きをさせた。さらに祝詞を唱えて女神を舞わせると天照大神は外をのぞいた。天照大神を外に引っ張りだした 。光と秩序が戻った。」という。遷御の儀の始まりを告げる鶏の鳴き声は、闇を払い神を呼ぶものだという。天照大神の子孫とされる天皇家の黒田清子さんが祭りを司る役を務める。ご神体は30分かけて新しい宮へ移される。吉川竜実さんは「ますます天照大神さまのご神威が光りかがやく」と語る。

天照大神を祀る唯一神明造の正殿を紹介した。屋根に並べられた鰹木は神や高貴さの象徴だ。この時代には法隆寺などもっと丈夫な造り方の建築物があったが、あえて唯一神明造りを選択した。長崎総合科学大学(建築学)の林一馬教授は「千年持たせる技術はあったが、日本独自のものをということで、いわば仏教寺院でない形を求めていった。建て替えていくことによって常に新しくある。こういうのは世界に例がない」と述べた。

「太神宮諸雑事記」によると式年遷宮が初めて行った人物は持統天皇だという。今上天皇から84代さかのぼった1300年前の天皇だ。持統天皇の父は大化の改新を行なった天智天皇で夫は天武天皇だ。万葉集に持統天皇が夫が偲んで詠んだと言われる「北山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離りて」の歌がある。

奈良・橿原市にある藤原京。古代最大だったと考えられる。大王と呼ばれていた王が、天皇になり、倭国と呼ばれていた国号に日本が使われ始める時代だった。長崎総合科学大学の林一馬教授は、「圧倒的隋だとか唐という中国文明の中、日本国をどのように対外的にうったえるか。そして国内的には天皇家というものがこの国の王であることを示すため、簡明でしかも力強い日本国にふさわしい造形を求められた」と語った。

式年遷宮の準備は8年前に始まる。2005年6月に御杣始祭が行われた。檜が切りだされ、ご神体を収める器となる。傷めないよう三方向から三つ紐伐りで切られる。「大山の神 左よき のぼり山一本寝るぞ」の掛け声の後切り倒される。

2005年5月2日の木本祭の撮影が一部ではあるが初めて許された。心御柱が切りだされる。心御柱は正殿の床下中央に外から見えないように立てられている。皇學館大学(宗教学)の櫻井治男教授は「これを他の人が見ることも、中身も内容も語ることは控えるべきこととして、神職の方は厳重に守ってこられた。」と語る。「心御柱記」によると心御柱は、地中に埋められている部分と地上に出ている部分があり、地上に3尺、根の方に2尺入っているという。持統天皇は藤原京の真南に天武天皇の墓、真北に天智天皇の墓を建てた。伊勢神宮は真東にある。真東は太陽の神・天照大神にふさわしい。伊勢には八度拝という礼拝を8回・拍手を8回繰り返す祈り方が伝わっている。

天照大神に捧げられるのは、食事だけではない。、式年遷宮では神宝装束という着物や調度品など身の回りのものも全て新しく造り替えられる。天照大神はまるで人のような神。しかし、日本人が元々信仰していたのはそのような神ではなかった。

太古の昔、日本人が神として崇めていたのは森や海・太陽といった自然そのもの。いつどのようにして変化したのか。沖ノ島は古来、天照大神の娘が祀られる神の島として信仰を集めてきた。今も島の上陸は制限されている。女人禁制など厳しい決まりがある。岩上祭祀遺跡を國學院大学(民俗学)・新谷尚紀教授と宗像大社・権禰宜の大塚宗延さんが訪れた。古墳時代、人々は鏡を捧げて太陽そのものを祀っていたという。時代が下ると岩陰祭祀遺跡のように岩の上ではなく、人に近い低い所に祈りの場が映った。「たたり」と呼ばれる糸を紡ぐ道具など神様の身の回り品が発見されている。神様に人の要素がこの時代に加わったと考えられる。「王の先祖、天皇の先祖ととしての神様になってきたと考えられる」と新谷教授は語る。

遷御の儀の夜、伊勢の人たちはそれぞれに遷宮を祝う。山田亥久生さん一家の過ごし方を紹介。天照大神に捧げる御馳走を準備する。そして神棚に祈る。なぜ遷宮は20年に1度なのか。持統天皇が行なった国家的行事と関係しているという見方で朔旦冬至説というものがある。朔旦は古代、暦の始まりだった旧暦11月1日、冬至は蘇りの象徴とされた。縁起のいい朔旦と冬至が重なるのは19年7ヵ月に1度。

今回、遷御の儀そのものに深い意味が含まれているという見解が神宮の中から初めて示された。ご神体を囲んで進む神職たちの行列が、日本の始まりを描く神話と重なるというのだ。新たな見解を示したのは伊勢神宮の権禰宜・吉川竜実さんだ。「おおもとには天孫降臨神話だと私は考える」と吉川さんは語る。日本書紀の天孫降臨神話は「天照大神は、葦原中国という地上の国を、支配していた大国主神から譲り受けた。孫の瓊々杵命に、地上を治めさせることにした。鏡を渡して、この鏡を見るときは私を見てると思いなさい、と告げた。そして、瓊々杵命は地上に降り立った」という。遷御の儀は天孫降臨を再現していると考えられるという。

天照大神が孫の瓊々杵命を地上に送った天孫降臨神話。持統天皇も同じような状況にあった。持統天皇は息子を亡くし、孫の軽皇子を天皇にしたいと考えていた。日本書紀は持統天皇の時代に編纂が進められていた。京都産業大学(言語学)の森博達教授は、専門の古代中国語の観点から見ると日本書紀には誤りが見られるという。随所に和製漢語があるという。「文章もでたらめ」と森教授は語る。また、森教授の研究で時代の古い順に書かれているわけではないことがわかった。正規の漢文で書かれたものとそうではないものに別れるという。神話を含めたものは正規の書かれていない後の時代に書かれたものだという。

天照大神という言葉も天孫降臨神話も正規の漢文ではない形で、天皇の権威を高めるため後の時代に書かれたものだという。日本書紀第30巻には、持統天皇が亡くなった後に付けられた名前が「高天原廣野姫天皇」が記されている。 國學院大学の新谷尚紀教授は「天照大神のモデルは持統天皇だろう。天皇とは神であるという形がそこで作られた。」と語る。奈良・明日香にある檜隈大内陵に持統天皇は天武天皇とともに眠っている。

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軽皇子
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檜隈大内陵

エンディング (その他)
05:58~

エンディング映像。

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