NHKスペシャル 私が愛する日本人へ〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜

『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)は、NHKのドキュメンタリー番組。略称は「Nスペ」。単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。本項では前身である『NHK特集』(エヌエイチケイとくしゅう)についても記述する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年10月10日(土) 21:00~22:00
放送局 NHK総合大阪

番組概要

オープニング (その他)
21:00~

渡辺謙は海外で仕事をしていると、日本の文化に対する関心の高さを実感すると話す。このことに大きく貢献をしてきた人物がいる。ドナルド・キーン。戦後70年間、松尾芭蕉など日本文学を世界へアピールしてきた。現在の村上春樹ブームに至るまでの日本文学の国際化を成功させた。東日本大震災の時に日本国籍をとったことでも知られている。そんなキーンさんが生涯を通して考え続けてきたのは、日本の魅力、日本人とは何者なのかということ。その答えを追い求めた波乱に満ちた人生を見つめていく。司馬遼太郎と交わした約束など、日本人よりも日本人のことを考えてきた93歳。

キーワード
ドナルド・キーン
松尾芭蕉
太宰治
三島由紀夫
川端康成
ノーベル賞
大震災
谷崎潤一郎
司馬遼太郎
村上春樹

私が愛する日本人へ〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜 (バラエティ/情報)
21:04~

ドナルド・キーンさんは93歳の今も、仕事への意欲にあふれている。キーンさんは「私は実は伝道師、日本文学の伝道師でした」と語る。ドナルド・キーンは、訳しにくかったのは誰かと聞かれ、「太宰治は非常に訳しやすかった」と答える。逆に、三島由紀夫が難しく、複雑な比喩があったと話した。日本文学について話しだすと止まらないキーンさん。それでもなぜ、ここまで日本のことを考えるようになったのか。物語は74年前に遡る。キーンさんと日本を強く結びつけたのは奇しくも太平洋戦争だった。アメリカ海軍に入ったキーンさんは激戦の島、アッツ島に派遣された。キーンさんの任務は捕虜の日本兵を尋問し、文書を解読することだった。

キーワード
太宰治
三島由紀夫
太平洋戦争
アッツ島

本編1 (演技/演奏)
21:06~

キーンさんへの取材を元に創作したドラマを放送。キーンさんは、日本語が面白くこの任務を志願したことは間違いではないと感じ始めていた。キーンさんはゲンジモノガタリで日本に興味を持ったという。美しい話で、千年の前に光源氏の物語を産んだ日本人に興味を持った。しかしワッツ島で出会った日本人は、多くが手りゅう弾で自決した。そして日本人に対する見方を大きく変えるものに出会う。死んだ日本兵から回収した手帳はかすかに異臭を放っていた。日本兵は日々の出来事を手帳に書き綴っていた。そこには、7人で13粒の豆を分け正月を祝ったことが書かれていた。

キーワード
ゲンジモノガタリ

私が愛する日本人へ〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜 (バラエティ/情報)
21:12~

自らの胸に手りゅう弾を当てて死んでいった日本人と、一方13粒の豆を7人でどう分けようかと思案する日本人。キーンさんはこの時に日本人とは何者なのかが知りたいと強い思いに掻き立てられていく。終戦から8年、日本が復興から新たな時代へと歩み始めた頃、キーンさんは京都大学に留学した。日本人とは何者なのか、その答えを追い求める日々がついに始まった。

本編2 (演技/演奏)
21:14~

「日本人とは何者なのか」追い求める日々が始まった。お風呂のお湯を熱がりながらお風呂に入るキーン。酒を酌み交わしながら桜を眺めることにどんな意味があるのかと疑問に思うキーン。狂言を演じる若き日のキーンさんの映像。変わった外国人がいると評判になった。文壇の重鎮、谷崎潤一郎や三島由紀夫など日本文学の黄金時代を彩った面々との時間は、キーンさんが日本への理解を深める格別なものとなった。川端康成とあったキーンさんは、先生の雪国について感動したが、英語に翻訳すると苦労すると思ったという。キーンは、男女のシーンが曖昧で何がいいたいのかわからないというが、川端は、その曖昧さこそが日本的だと語った。曖昧さ、余白、余情とでもいうか、その可能性を信じたという川端。

キーワード
谷崎潤一郎
川端康成
三島由紀夫
大江健三郎
大岡昇平
有吉佐和子
永井荷風
安部公房
雪国

私が愛する日本人へ〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜 (バラエティ/情報)
21:21~

ドナルド・キーンは、ぼかすことについて「それは日本的だ、ぼけることはなんとなく魅力的だ」と語る。日本人の特徴をキーンさんに上げてもらうと、あいまい(余情)の他には、はかなさへの共感、礼儀正しい、清潔、よく働くと挙げた。キーンさんに日本人の礼儀について、魏志倭人伝の中に時代によって敬語が続いてきたといい、源氏物語の頃の敬語の使い方があり、侍は「候」という言葉を考え、色々な言葉で自分の社会的な位置を示した、などと話した。さらに、日本人の英雄は始めは上手くいくが、最終的にはだめになる義経のような、と話す。渡辺謙は、新選組など悲劇的なヒーローは多いが、儚さみたいなものとつながっていくところがあるかと聞かれると、キーンさんは、人間的な弱さがあり、そういうものの見方は非常に日本的だと語った。

キーワード
源氏物語
魏志倭人伝

本編3 (演技/演奏)
21:24~

1955(昭和30)年、アメリカに帰国したキーンさんは、次々に生まれる戦後文学に胸を踊らせた。時に、三島由紀夫の金閣寺。日本の文学が、今こそ世界に打って出るべきだと確信した。次々と日本の文学を英語に訳し、アメリカの出版社に売り込んでいった。夢中で働き続けた心の奥には一つの忘れられない体験があった。終戦の三年後、日本文学の研究を始めた頃、キーンさんは日本人について「猿まねの国の研究なんて意味ない」などと言われやめろと言われたことがあった。本当の日本を知ってもらうには、一人でも多くの人に翻訳を読んでもらうしか無い。いざ出版してみると、さらなる翻訳の以来が相次いだ。やはり日本文学は世界の人の心を捉える独特の力を持っていた。

キーワード
金閣寺
三島由紀夫
宴のあと
人間失格
太宰治

私が愛する日本人へ〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜 (バラエティ/情報)
21:27~

キーンさんが翻訳に夢中だった1960年代、日本は行動経済成長への道をひた走っていた。ある日、キーンさんのもとに、スウェーデン・アカデミーから極秘の依頼が届く。日本の作家の誰をノーベル賞に選ぶべきか、意見を聞かせて欲しいというもの。ノーベル文学賞選考委員のシェル・エスプマルクは、候補に上がった作家について、余り知らない場合にキーンさんのような専門家に報告書を作って欲しいと依頼することがあるなどと明かした。選考委員会が示した候補者は川端康成ら4名。これに対してキーンさんが回答した手紙が公開され、谷崎潤一郎がその栄誉に最もふさわしいと書いていた。さらに二番目は川端康成、次が32歳の三島だった。キーンさんは「谷崎文学という大きな山脈があり、それを無視できなかった」などと話した。キーンさんは、日本の年功序列を大切にする日本社会に強く配慮していた。その後まもなく谷崎は亡くなり、川端康成にノーベル文学賞が贈られた。当時キーンさんは「川畑の受賞は極めて長い歴史を持つ日本の小説の伝統が、世界の文学と合流したことを意味する」とアメリカの新聞で語っている。

1971年、49歳のとき、また新たな文豪・司馬遼太郎と出会い、意気投合する。キーンさんは「司馬さんの知識と常識、非常に好きだった」などと語った。東京・銀座の老舗の鰻屋で、司馬から重要な役割を任させる。司馬は新聞社の幹部を大声でしかり、良い新聞にする方法は、ドナルド・キーンを雇うことだ、と話した。当時、莫大な貿易黒字を記録していた日本がジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれて自信をみなぎらせていた。日本人は道を誤りつつあるのではと案じていた司馬は、キーンさんならではのメッセージを求めた。

ドナルド・キーンは、「私の仕事は『日本文学は世界文学である』ということを証明すること」と話す。それが今までやってきたことの一番の意味だという。

キーワード
川端康成
三島由紀夫
谷崎潤一郎
西脇順三郎
ノーベル文学賞
司馬遼太郎
スウェーデン・アカデミー
銀座(東京)

本編4 (演技/演奏)
21:34~

キーンさんへの取材を元に創作したドラマを放送。982(昭和57)年、新聞社編集室。一体何を日本人に伝えるべきなのか。まず書こうと思ったのは、日本人からよく投げかけられる奇妙な質問「お刺身を食べられるか」について。いざお刺身を食べられるとわかると納豆はどうか、塩辛はどうかと聞かれるという。この体験からキーンさんは、日本人は自分たちの特殊性を意識しすぎているように思う、とした。記事には、日本は「西洋に対して日本文化の理解を広める努力を惜しんだようである」などと掲載した。反響は様々だった。外国人に日本は理解できないという投書もあった。キーンさんがたどり着いたのは日本人自身の言葉で伝える方法だった。日本人の書いた日記には、その時々の考え方や感情が読み取れるといい、日本人としていいところも悪いところを見つめなおしてもらうには大変良い教材だと、キーンさんが説明した。こうして格闘の毎日が始まった。日記を全て原文で読み、昔の日本人の声を丹念に読んでいく。例えば、江戸末期にアメリカへ行った男の日記「遣米使日記」。実はこの頃容易には理解し難いある時代の日記と出会うことになった。

私が愛する日本人へ〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜 (バラエティ/情報)
21:42~

キーンさんがある日手にしたのは、伊藤整の太平洋戦争日記。キーンさんが知っている伊藤の姿は権力におもねることなく自由を大切にする文学者。キーンさんは懐かしいと語る。

キーワード
伊藤整
太平洋戦争日記

本編5 (演技/演奏)
21:43~

ドナルド・キーンが読んだ伊藤の日記には、伊藤整の人柄からは想像できない日記。あのアッツ島の日本兵についても伊藤は書いていた。伊藤は、アッツ島で手りゅう弾で自決した兵士について、美しい戦いをしたと記していた。日記だから権力に従っているふりをする必要はないから、本心からそう思っていたのかと疑問に思うキーン。そして谷崎潤一郎は戦争中何を考えていたのかが気になった。戦争の熱狂の中、谷崎が書いた日記がある。キーンは、谷崎潤一郎の疎開日記を光と、日記の中に戦争の熱狂はなく、目立っていたのは「細雪」の二文字。日本の戦前の暮らしぶりを描いた小説だった。細雪には、日本人の伝統的に営みがゆったりとした調子で書かれていて、それが戦意を高揚させる時代の空気とは合わずに連載を中止されていると言う。でも連載が中止されても谷崎は細雪を書き続けたという。ドナルド・キーンは講演で、源氏物語に出会った頃、実際の日本では多くの人々が戦争に熱狂していたが、谷崎潤一郎先生のような人もいたと紹介。谷崎潤一郎が伝え続けたメッセージは、日本人の本当に美しい物を忘れるべきではない、というものだった。

キーワード
谷崎潤一郎
伊藤整
疎開日記
細雪

私が愛する日本人へ〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜 (バラエティ/情報)
21:52~

キーンは「日本人には美しい音楽、美しい小説、美しい庭があると感じていたという。そして彼はもう以前のような日本はないかもしれないと」考えて)、谷崎先生は(細雪)を書いたと私は思う、などと話す。多くの人が私たちは仕方がないから自分も同じことをやろう、というので満足するのはよくない、などと話した。

その後もキーンさんは日本人に何を伝えるべきかを考えてきた。そして2012年日本国籍を取得。キーンさんは、今も石川啄木など日本人の日記を読み続けている。生涯をかけて、日本人を考え続けたキーンさんが今、私達に伝えたいこととは。キーンさんは「大体において日本は良い方に来たと思う、しかし自分たちの伝統に興味が無いということは、一つの弱点、一番良いことは過去のものとの良さを勉強して知るようになって、自分の物にして、自分がそういうものから特別な愉しみをを得ること」などとメッセージを送った。

キーワード
細雪
谷崎潤一郎
石川啄木

エンディング (その他)
21:57~

エンディング映像。

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