放送日 | 2015年10月12日(月) 19:00~23:09 |
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放送局 | 毎日放送 |
1955年、TBSテレビが放送開始した頃、明石家さんまが誕生。両者の生誕60周年を記念してTBSの超豪華ゲストと超貴重映像を振り返る。
MCの明石家さんまと安住紳一郎が挨拶し、TBSと明石家さんまの60周年を豪華なゲストと超貴重映像で振り返るという番組趣旨を説明。そして、堺正章らTBSレジェンドの皆さんを紹介した。
明石家さんまとTBSの歴史を共に振り返った。1955年、明石家さんまが誕生した年、TBSは株式会社ラジオ東京でテレビ放送を開始。この年に始まったドラマ「日真名氏飛び出す(高原駿雄・久松保夫出演)」は当時テープが高かったため生放送され、「月光仮面」は日本初のヒーロー番組で誰を代役しても視聴者にバレないようにという理由から白いターバン姿になった。1958年「私は貝になりたい」が放送、「兼高かおる世界の旅」では兼高かおるがサルバドール・ダリなど偉人と会っている。
明石家さんま4才、山下真司5歳、郷ひろみ4才の写真を公開した後、1961年~1965年のTBS番組を振り返った。1961年放送「七人の刑事」では当時珍しかった警視庁本庁舎の空撮映像が使われ、1962年放送の「てなもんや三度笠(藤田まこと、白木みのる、財津一郎出演)」では番組内で生まれたギャグが次々と流行語になった。1965年放送の「東京警備指令 ザ・ガードマン」はガードマンという言葉がこのドラマがきっかけで広まった。
スタジオで1975年まで朝日放送(ABC)がTBSの系列局だったが、現在は毎日放送(MBS)が系列局だったことが解説された。泉ピン子は当時、ワーストタレント第1位だったと話し、堺正章は1961年に結成されたグループ・サウンズ「ザ・スパイダース」が郷ひろみより人気だったと話した。
さんまが15才だった1966年~1970年のTBS番組を振り返った。1966年放送の「ウルトラマン(黒部進出演)」は特撮モノとしては日本初のカラー放送だった。1967年放送の「植木等ショー(植木等・江利チエミ出演)」はオープニングからラストまでほぼ編集なしで歌・コントが繰り広げられた。
水戸黄門 初めての印籠で意外な事実!
桂文枝、月亭八方、桂きん枝、笑福亭鶴瓶が明石家さんま還暦祝いのため集まった。桂文枝はデビューしたてのさんまを桂文枝が抜擢し、桂文珍・月亭八方・桂きん枝らとユニットを組み番組に出演した。明石家さんまは笑福亭鶴瓶が松竹に所属していたため、関西では共演禁止になっていたことを明かした。
明石家さんまが大阪時代に出演していた「ヤングおー!おー!」を紹介。毎日放送(MBS)が制作し、1969年から1982年まで放送されていた人気バラエティー番組。当時の若手芸人が多数出演し笑いあり歌ありの構成の中、司会を務めていたのが桂三枝(桂文枝師匠)だった。明石家さんまは月亭八方・桂きん枝・桂文珍・林家小染とSOS(サニーズ大阪スペシャル)というユニットを組みあいうえお作文など様々な企画に挑戦していた。番組出演から5年、さんまは25歳で司会の座を譲り受けた。
月亭八方は「ヤングおー!おー!」のコーナーを忘れていて、「なんであんな格好した?」とコメント。怒られ役だったという桂きん枝は桂文枝から素行が悪かったと理由を話した。
MBSから全く笑いを取らなかった明石家さんまの映像を入手。1987年放送の「ぜーんぶさんまちゃん」で明石家さんまがシングルベッドという曲を熱唱していた。明石家さんまは曲はCHAGE and ASKAが作ってくれて、月亭八方は当時を振り返り、「我々に馴染みのない名前が出てくる。世界は違うというのは感じた」と話した。
さんまと親交のある桂文枝ら4人の芸人がさんまへのクレームを激白。桂文枝はサニーズという野球チームのユニフォームを揃えた時に当時のさんまが「醤油会社の帽子みたいや」とクレームをつけてしまいスポンサーに悪かったと話した。
月亭八方は自分が好きになるような女性が「さんまさんはどういう人?」などの条件を出されていたとクレームをつけた。明石家さんまはガラモンよりガラモンに似た女性ら2人とセッティングをした時の話をした。
鶴瓶がさんまに大クレーム!
笑福亭鶴瓶は明石家さんまが送ってくるスクラッチ付き年賀状の景品に「鶴瓶2000円」というものがあり、知らない人から問い合わせがあり合計4万円払ったとクレームをつけた。さんまの年賀状は鶴瓶だけが残念賞でその他は全て3等賞だった。
郷ひろみの秘蔵VTRを紹介。1972年放送の「おやじ山脈」で5人兄弟の末っ子として出演、1972年12月31日放送の「第14回 輝く!日本レコード大賞」ではデビュー曲「男の子 女の子」で日本レコード大賞新人賞を受賞。
草野仁の秘蔵VTRを紹介。1986年から放送している「世界ふしぎ発見!」でNHKから独立後すぐの草野仁が司会を務めた。そして、放送開始4ヶ月後、草野仁はドラキュラの風貌で登場。それから偉人に扮した。
レジェンド達の秘蔵映像!
泉ピン子の秘蔵VTRを紹介。スターの日常に密着しドッキリを仕掛ける1976年4月11日放送の「決定版!!尾行大作戦!(愛川欽也出演)」でエンディングで加山雄三の誕生日を祝っているとケーキから泉ピン子が登場した。漫談家としてデビューしていた泉ピン子は1977年放送の「シャボン玉こんにちは」、1977年の「俺たちゃ・なんだい!」にも出演していた。
「男女7人秋物語」で明石家さんまと共演していた山下真司は32歳の時、1984年放送の「スクール★ウォーズ」に出演。挨拶してくれる女生徒の優しさやノートに書かれたありがとうございましたの文字、朝日を見ただけで涙を流していた。
スタジオで和田アキ子は、スクール★ウォーズに梅宮辰夫と夫婦役で出演していたが、山下真司の泣きが終わらず時間通りにいかなかったと話した。また、「おやじ山脈」に出演していた郷ひろみは16歳の頃の記憶があまりないと話した。
1960年代から1980年代のアツい青春ドラマを紹介。1969年放送の「サインはV(中山麻理・岡田可愛出演)」は東京オリンピックで活躍した東洋の魔女をきっかけに制作され、稲妻落としなどの必殺技を生み出した。同年放送の「柔道一直線(桜木健一出演)」からは地獄車などの子どもが真似できない柔道技の数々が紹介された。
1970年代に放送された赤いシリーズは当時大人気だった歌手・山口百恵が10作中7作に出演していた。「赤い疑惑」の最終話で、三浦友和が白血病を患った山口百恵にキスをするシーンが話題になり4000通もの手紙がTBSに届いた。「赤い激突(国広富之・宇津井健出演)」でバレエダンサーを務める宇津井健の熱い演技が紹介された。
あの伝説のドラマをプレイバック!
大映テレビドラマから1984年放送の「スクール★ウォーズ」から今ではありえない熱血指導をするシーン、1983年放送の「スチュワーデス物語」から堀ちえみの阿波おどりをもう一度見たいという風間杜夫、1985年放送の「少女に何が起ったか」から石立鉄男から罵倒を受ける小泉今日子、1984年放送の「不良少女とよばれて」からいとうまい子と伊藤かずえの決闘シーンが紹介された。
スタジオで、大映テレビドラマは台所にいる主婦にも内容が分かってもらえるように大きな声で台詞を言うなどの演出をしていた。泉ピン子は当時を振り返り「小さな声で演技をしたらリテイクって言われた」と話した。
TBSレジェンドの秘蔵映像が続々!
堺正章の秘蔵VTRを紹介。今年で21年目を迎えるチューボーですよ!の司会を務める堺正章は長年に渡りTBSを支えてきた。1967年放送の植木等ショーにザ・スパイダースのボーカルとして出演している堺正章の姿があった。さらに1971年には輝く!日本レコード大賞では「さらば恋人」で大衆賞を受賞。当時の堺正章は、「天皇の料理番」で当時鹿賀丈史らと共演していたが、その中でも明石屋さんまとそっくり。
武田鉄矢の秘蔵VTRを紹介。1979年から放送された3年B組金八先生で32年間に渡り坂本金八を演じ続けた武田鉄矢。1974年放送輝く!日本レコード大賞にTBS初登場の武田鉄矢の姿があった。この歳武田鉄矢は海援隊・母に捧げるバラードで企画賞を受賞。すると、研ナオコから福岡のお母さんから電話がつながっていると言われ、エールを送られていた。
和田アキ子の秘蔵VTRを紹介。今年30週年を迎えたアッコにおまかせ!でTBS日曜昼の顔を務めているが、1969年放送秋のスタジオ見学がTBS初登場。46年前からデカイいじりをされていた。
46年前からデカイいじりをされていた和田アキ子だが、1975年には朝日新聞に楽屋泥棒に入った男を和田アキ子が退治したという記事が掲載されたことがある。
32年間で8シリーズ放送された国民的ドラマ「3年B組金八先」。第1シリーズの名シーンといえば、杉田かおる演じる浅井雪乃が15歳で妊娠出産という衝撃のシーン。第6シリーズの名シーンといえば上戸彩演じる性同一性障害に悩む鶴本直が斉藤祥太演じる今井儀との迫真のケンカシーン。
テレビ史に残る金八の名シーン!
男女7人夏物語29年ぶりの同窓会
1970年から放送された「ありがとう」は水前寺清子が主演に抜擢。乙羽信子、石坂浩二などが出演し中でも光と進矢の恋の行方を視聴者は毎回気にしていた。第二シリーズで2人は結婚。最高視聴率56.3パーセントを記録した。
1970年から放送された「時間ですよ」は、下町の銭湯を舞台にしたホームコメディーで堺正章、浅田美代子、樹木希林などが出演していた。更に天地真理など当時旬なアイドルが毎回ゲスト出演し赤い風船などを歌っていた。
1974年から放送された「寺内貫太郎一家」は、下町人情をコメディータッチで描いたホームドラマで、小林亜星、加藤治子、西城秀樹、樹木希林などが出演していた。樹木希林が沢田研二に向かって叫ぶセリフも話題となり、ドラマの名物は大げんかのシーンだった。
1977年、1978年から放送された「ムー」「ムー 一族」は、東京で老舗の足袋屋うさぎ屋が舞台のドラマで伊東四朗、左とん平、郷ひろみ、樹木希林、岸本加世子などが出演していた。このドラマからはお化けのロックも誕生し、40万枚のセールスを記録し続編のムー一族では林檎殺人事件が生まれザ・ベストテンに12週ランクインした。
直江喜一、沖田浩之、赤木春恵、早崎文司らが出演していた3年B組金八先生シリーズの中で一番の名シーンといえば、腐ったミカンの加藤優が校長を放送室に監禁したシーン。加藤らは荒谷二中の校長を放送室に監禁し謝罪を要求。校長は謝罪したが、加藤らは警察に連行された。そして警察から無事釈放された加藤たちに対し、金八先生は平手打ちをした後抱きしめた。
TBS伝説のドラマシリーズ「渡る世間は鬼ばかり」は、1990年から21年間、計10シリーズを放送。名物である役者泣かせの長台詞として、667文字1分53秒という泉ピン子の長台詞が流れた。
続いて、学歴コンプレックスに苦しむ若者たちの恋愛ドラマ「ふぞろいの林檎たち」(1983年~放送)から、名シーンとして手塚理美と時任三郎のラブシーンが流れた。
スタジオトーク。武田鉄矢は「3年B組金八先生」について、演じているのは素人の子供たちなため、リハーサルで泣いてしまうと本番では泣けなくなるなどの裏話を語った。
このあと、さんまが大竹しのぶと出会い結婚するキッカケ「男女7人夏物語」あれから29年今宵限りの同窓会を開催。
男女7人夏物語の舞台となった食堂セットを完全再現し同窓会が行われた。食堂で大竹しのぶと明石家さんまが再会した。明石家さんまがいつも撮影に遅刻して大竹しのぶに謝っていたというエピソードを話した。大竹しのぶは当時、明石家さんまが喋りっぱなしで眠らせてもらえないのでロケバスに乗るのは罰ゲームだったと話した。
29年ぶりに男女7人が夢の再会!
明石家さんまが「現場を和ますのが俺の役目だった、ドラマなんかやる気なかった」と話し、大竹しのぶが「良いドラマを作ろうとかそういうことはこれっぽちもなかったの」と聞くと「これっぽちもない」と答えた。明石家さんまはドラマは休憩するところだったと話したが大竹しのぶに「その割にはかっこつけてたじゃん」と突っ込まれた。明石家さんまは自分の中のかっこいい様を作るのが仕事だからと弁明し「木村拓哉も思うやろ」と訴えた。大竹しのぶは当時明石家さんまがドラマの仕上りを見てかっこいい・おもしろいポイントをつけていたと暴露した。
男女7人夏物語の明石家さんまと大竹しのぶの名シーンコレクションが流れた。アドリブと噂されたスーパーの偶然の出会いのシーンと銀行のATMのシーンを紹介した。映像を見終わった明石家さんまは大竹しのぶが「落ちてまっかね」というシーンは当時ひょうきん族のコーナーで村上ショージがやっていたからやってもらったと話した。大竹しのぶは大雨の告白シーンを見て「前のほうが歯が出てたね」と話した。
男女7人夏物語から片岡鶴太郎演じる大沢貞九郎の名シーン「元祖壁ドン」が紹介された。
賀来千香子がさんまに29年越しの大クレーム!
賀来千香子演じる沢田香里と、奥田瑛二演じる野上君章の名シーンが紹介された。
小川みどり演じる椎名美和子の名シーンが紹介された。
池上季実子演じる浅倉千明の名シーンが紹介された。
奥田瑛二は、リハーサルからキスをしていたという。しかし、賀来千香子はキスシーンが初だっため気が付かなかったという。リハーサルでキスをしたことでスタッフもざわついたという。
大竹しのぶと明石家さんまは、当時バスの中でもずっと話しており、周囲の出演者も付き合っているのかと思っていたという。バス内でのさんまの話がうるさいため、池上季実子の事務所からさんまに苦情の手紙が届いたという。
賀来千香子は、屋形船で全員がご飯を食べるシーンで自分は泣く役だったため集中していたところ、さんまに協調性が無いと言われたという話を29年ぶりにした。さんまはドラマが休憩場所と考えており、みんなを楽しめようと考えていたが、俳優陣は役作りをしていたためさんまに邪魔されることが多々あったという。さんまは年老いた編でもう一回男女7人夏物語をやるかと提案した。
TBS名作ドラマの名シーンを一挙公開。2003年放送の「GOOD LUCK!!」から木村拓哉と柴咲コウの日本一かっこいいラブシーン、1993年放送の「高校教師」から真田広之と桜井幸子の影がキスをするシーンと様々な憶測を呼び視聴率33.0%を記録した最終回、1995年放送の「愛していると言ってくれ」から別れを決心した常盤貴子が最後に声を発するシーン、1994年放送の「人間・失格 たとえばぼくが死んだら」から最終回視聴率28.9%へ繋げた息子を亡くした父の教師への復讐シーンを紹介。
日本中が涙したあのドラマをもう一度!
2000年放送の「池袋ウエストゲートパーク」からマコトとキングのタイマンシーン、1995年放送の「人生は上々だ」から浜田雅功と木村拓哉の友情が芽生えるシーン、2002年放送の「木更津キャッツアイ」から死んだはずのぶっさんが生き返るシーン、1999年放送の「魔女の条件」から松嶋菜々子と滝沢秀明のラブシーン、2005年放送の「花より男子」からつくしが道明寺に想いを告げるシーン、1995年放送の「未成年」からいしだ壱成が屋上から叫ぶシーン、2000年放送の「Beautiful Life ~ふたりでいた日々~」から木村拓哉が死んだ常盤貴子に涙するシーン、2004年放送の「世界の中心で、愛をさけぶ」から日本中が涙した空港のシーン、2004年放送の「オレンジデイズ」から櫂が大声で告白するシーンを紹介。
もう一度みたい!緊迫の名シーン!
1987年放送の「ママはアイドル!」から中山美穂がコンサートで結婚していたことを告白するシーン、1987年放送の「パパはニュースキャスター」から今では考えられない田村正和の姿、1988年放送の「とんぼ」から東京のどまんなかでゲリラ的に撮影されたシーン、1992年放送の「ずっとあなたが好きだった」から冬彦の奇行シーンの数々、1993年放送の「誰にも言えない」から主人公2人の父が実は冬彦だと告げられる衝撃の一言、2008年放送の「ROOKIES」から川藤の情熱で部員が一つになるシーン、2009年・2011年放送の「JIN-仁」から現代に戻った仁が咲に託された手紙を読むシーン、2013年放送の「半沢直樹」から瞬間最高視聴率46.7%を記録した土下座シーンを紹介。
過去映像を探していたプレビュー隊の手が止まった貴重映像の数々を紹介。1999年放送の「西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ 寝台急行銀河殺人事件」に当時8歳の三浦春馬、1967年放送の「女性専科」に当時31歳の野際陽子、1988年放送の「仮面ライダーBLACK RX」に当時34歳の高畑淳子、1998年放送の「ひとりぼっちの君に」に当時10歳の濱田岳が出演していた。
勝新太郎&美空ひばり超貴重映像!
過去映像を探していたプレビュー隊の手が止まった貴重映像の数々を紹介。1967年放送の「キャプテンウルトラ」に当時26歳の小林稔侍、1986年放送の「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」に当時23歳の青山剛昌(名探偵コナン作者)、1978年放送の「ザ・ベストテン」に当時24歳の高見沢俊彦率いるTHE ALFEE、1980年8月19日放送の「ぴったしカン★カン」に当時43歳の美空ひばり、1982年放送の「女7人あつまれば」に当時22歳の船越英一郎、1997年放送の「村上ショージの世界(仮題)」に当時41歳の村上ショージが出演していた。「村上ショージの世界(仮題)」は2時間特番で、村上ショージの最初で最後の冠番組となった。
スタジオで郷ひろみは、歌番組に出演した時にスタッフから「歌い出しが聞こえない」と言われた時に「低くて聞こえにくい部分があるかもしれません」と言い返した時に生意気と取られてしまい「郷ひろみってTBSの重役の息子?」と言われてしまったと話した。
TBSの倉庫には明石家さんまが出演した番組のテープが1133本あると伝えた。その中で最も古いのは1979年放送の「10月だョ!全員集合」だと伝えた。そこで桂文枝と一緒に出演していた映像が伝えられた。翌年にはドラマの「天皇の料理番」に出演した。このドラマ以降にいろいろな番組に出演し始めたと伝えた。1133本の中で明石家さんまが呆然としている映像がある。それが「ザ・ベストテン」だと伝えた。他にも笑いを取りに行かない食レポで「料理天国」の様子が伝えられた。さらにTBSでのキスシーンとして「男女7人秋物語」での映像などが伝えられた。
「さんまのからくりテレビ」の傑作選を伝える。その中の「ご長寿早押しクイズ」の映像が伝えられた。そこで猪俣松治名人と吉田こと名人の番組出演の映像がなどが伝えられた。
スタジオでは「さんまのからくりテレビ」の傑作選を見て何度も笑ってしまうと話題になった。また泉ピン子は出演していた酒井素樹さんのことを覚えていたと語った。
エンディング映像。
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