中居正広の金曜日のスマたちへ スペシャル

放送日 2013年9月27日(金) 21:00~23:19
放送局 毎日放送

番組概要

オープニング (その他)
21:00~

今回は駒田健吾や山本が出場した社交ダンスSP。静岡の大会への出場を決めた一行だが、静岡の大会のレベルは高いという。

スタジオでダンスを披露。

金スマSP 社交ダンス (バラエティ/情報)
21:04~

7月13日、次回の試合に向けレッスンを開始したキンタローと山本、一方で駒田ペアも玉置朝啓さんから指導を受けていた。二人は法政大学舞踏研究会の合宿に参加するが、ついていくだけで精一杯だという。

試合当日、会場入りした一行はその広さに圧倒される。前回の大会で優勝し注目を浴びた二人は、雑誌の表紙を飾る程人気になっていた。一方、駒田とエドは既に着替えも終えて準備はバッチリ。今回上位10%に入ればD級が獲得出来るという。

駒田健吾と山本アナが、キンタロー&エドと共にスタジオでダンスを披露した。

キーワード
法政大学舞踏研究会

金スマSP 社交ダンス (バラエティ/情報)
21:12~

一次予選のサンバに山本と駒田が出場。抜群のキレを見せる山本&キンタローに対して、駒田は足を滑らせてしまう。しかし大会には全日本選手権に出場する程の実力者も出ているという。

一次予選の結果が発表されると、山本&キンタローペアは一次予選を通過。続く駒田&エドペアも通過することが出来た。これで5組が脱落、残るは25組となる。またこの25組には、キンタロー&山本を含む4組が満点を獲得している。

2次予選に山本&キンタロー、駒田&エドが出場。サンバを終えると、エド駒田ペアの背番号が呼ばれた。

金スマSP 社交ダンス (バラエティ/情報)
21:23~

実は駒田・エドペアは、出場する組を間違えて出場してしまった。その後、連続でサンバを踊ることになった二人だが、先程の疲れからヘロヘロ状態。二次予選の結果が出されると、山本・キンタローペアは満点で通過。エド・駒田ペアも何とか通過することが出来た。

スタジオでは、キンタロー達も出場することで注目度が上がるため、出場者も増えるとトーク。レベルも非常に高い大会になっていると話した。

準決勝にエド・駒田ペア、キンタロー・山本ペアが出場。準決勝の結果が発表されると、キンタロー・山本ペアはまたも満点で決勝進出を決めた。

金スマSP 社交ダンス (バラエティ/情報)
21:36~

準決勝の結果が発表されると、キンタロー・山本ペアに続いて、エド・駒田ペアも決勝進出を決めた。ここまで満点は3組、決勝で戦うのは合計7組となる。

決勝戦にキンタロー山本ペア、エド・駒田ペアが出場。全てのダンスを終えて結果が発表される。

金スマSP 社交ダンス (バラエティ/情報)
21:45~

全てのダンスを終えて結果が発表されると、キンタロー・山本ペアは準優勝。駒田・エドペアは4位となり、D級を獲得することが出来た。しかし山本は、優勝を逃して本当に悔しいと語った。

キンタロー達は準優勝では悔しいため、今後はリベンジしたいと語った。

金スマSP ザ・ベストテン (バラエティ/情報)
21:47~

ゲストには黒柳徹子と久米宏が登場。ザ・ベストテンで伝説となっている二人は、当時を思い返すとあっという間だったと話した。また、安住紳一郎にとって久米宏は30年先輩だという。

黒柳徹子と久米宏が彩ったザ・ベストテンの映像を公開。この番組には小泉今日子や松田聖子も出演しており、今回は今だからこそ話せる仰天エピソードに迫る。

1970年代、黒柳と久米の出会いはザ・ベストテンが始まる前のこと。永六輔のラジオ番組に出演した黒柳は、久米のワンコーナーで面白いコメディアンだと思っていたという。それから暫く経った1977年夏、番組ディレクターの山田修爾は新しい音楽番組を構想していた。

山田は視聴者からのリクエストハガキを中心に、番組独自の総合ランキングを決定。番組の司会者に黒柳徹子を抜擢させると、黒柳が久米宏を推薦したという。

1978年1月19日に放送されたザ・ベストテンの映像を公開。番組には野口五郎などの歌手が登場するが、当時トップアイドルの山口百恵はランク外だった。そこで番組プロデューサーはランキングを操作して山口百恵の出演を提案するが、山田は断固として拒否。真実こそがベストテンであるポリシーを頑なに守っていた。また、中島みゆきが出演出来ない理由なども、そのまま視聴者に伝えていたという。

そこで視聴者は、なんとか応援する歌手に出てもらおうとリクエストのハガキを書き続け、第二回の放送には山口百恵が見事ランクイン。ところが、放送を重ねる内にトップアイドルが毎週夜9時に来るのは不可能に近かった。そこで、木曜夜9時に人気歌手が何をしているのかを生中継。郷ひろみはスキー場で歌を披露した。

番組に久米が大ファンの山口百恵がランクインした時は、ハイテンションでその人となりを紹介。司会者の掛け合いは番組の人気に拍車をかけていったという。

前代未聞の大トラブル発生!!

キーワード
ザ・ベストテン
中森明菜
松田聖子
渚のバルコニー
田原俊彦
小泉今日子
永六輔
野口五郎
渡辺正文
中島みゆき
山口百恵
吉川晃司
岩崎宏美
山田修爾

金スマSP ザ・ベストテン (バラエティ/情報)
22:12~

ザ・ベストテンで1位に輝いた郷ひろみだが、その頃の郷は隣のスタジオでドラマの撮影中。生放送にありがちなハプニングにも、黒柳と久米は絶妙な掛け合いで乗り切っていた。

1980年、シャネルズが番組に出演すると、中継先の一般人が「黒人のくせに」と発言。すると黒柳は、番組の進行中でありながら自分の気持を伝えた。久米はその行動も絶妙にフォローすると、最高視聴率は41%をマークしたという。

1981年8月6日、岩崎宏美が出演すると、広島の原爆ドームが見えるTBS系列局から中継が行われた。当時の山田修爾プロデューサーは、自ら交渉することでこの中継を実現させていたという。

スタジオでは、ザ・ベストテンは情報番組のようだったとトーク。番組内で二人はニュースの話を良くしていたが、本番での話は絶対にリハーサルでしなかったと話した。また、1983年5月26日の放送では、殆どの歌手がスタジオに来られず、早見優の登場が早まってしまう。すると早見は化粧もせず「夏色のナンシー」を歌うことになってしまった。

キーワード
ザ・ベストテン
郷ひろみ
シャネルズ
近藤真彦
チェッカーズ
薬師丸ひろ子
小泉今日子
岩崎宏美
すみれ色の涙
早見優
夏色のナンシー
山田修爾

金スマSP ザ・ベストテン (バラエティ/情報)
22:28~

ザ・ベストテンに登場した松田聖子は、新幹線の停車中に歌うことに。歌が続いているが新幹線へと押し込まれ、中継中に去っていったという。

1983年11月19日の初公開生放送では、黒柳徹子がニューヨークにいるため、久米宏が一人での司会に挑戦。現場は豪雨に加えて大混乱したという。

1980年、初登場した松田聖子は羽田空港からの中継に挑戦。それを実現させるため、山田は四方八方から許可を得るのに必死になっていた。しかし放送当日、松田聖子の乗った飛行機の到着が早まってしまう。飛行機の速度を落とすよう交渉すると、放送時間ぴったりに飛行機が到着。松田聖子は演出通り「青い珊瑚礁」を歌うことが出来た。

キーワード
ザ・ベストテン
松田聖子
チェリーブラッサム
青い珊瑚礁
山田修爾

金スマSP ザ・ベストテン (バラエティ/情報)
22:38~

1983年、中森明菜がリハーサルで足を脱臼し、出演を辞退してしまう。そのまま本番当日を迎えると、中森は松葉杖をついて謝罪に訪れる。するとスタッフは、視聴者に顔だけ見せて欲しいと交渉。その要求を承諾した中森は番組に出演するが、ザ・ベストテンのスタッフは歌って欲しいと更に交渉。結局中森は松葉杖も使わず、歌声を披露した。

サザンオールスターズの桑田佳祐は黒柳徹子を「お母さん」と呼び、その掛け合いを視聴者も楽しんでいた。アーティスト達にとっても、ザ・ベストテンは特別な番組だったという。

伝説のコンビが復活!

キーワード
ザ・ベストテン
中森明菜
サザンオールスターズ
桑田佳祐
山田修爾
遠藤環

金スマSP ザ・ベストテン (バラエティ/情報)
22:45~

28年ぶりにザ・ベストテンが復活。久米宏と黒柳徹子が第一位を紹介すると、中居正広と金スマメンバーが入り口から登場した。

12年間続いたザ・ベストテンだが、1985年に久米宏が番組を降板。1985年にザ・ベストテンを卒業すると、黒柳と久米は最後にワルツを踊った。その後久米は、ニュースステーションのキャスターとして大活躍。しかし番組にとっては大きな損失であり、時代の波が押し寄せようとしていた。

次第に世間では、テレビ番組に出演しない尾崎豊やBOOWYなどが人気に。スタジオには空席が目立つようになり、視聴率は全盛期の半分以下となっていた。そして1989年9月28日、ザ・ベストテンが最終回を迎える。放送回数は603回となり、今も語り継がれる伝説的な音楽番組となった。

先日、ザ・ベストテンの生みの親である山田修爾さんが他界。葬儀には久米宏と黒柳徹子が肩を並べ、秋元康や数々のアーティストが訪れた。山田の旅立ちの曲には、ザ・ベストテンのテーマ音が使用されたという。

ザ・ベストテンの人気で1979年にフリーアナウンサーに転身した久米は、1985年40歳になると、夢だったニュースキャスターの話が持ち上がる。その内容はテレビ朝日が社運をかけた物であり、出演するニュースステーションはザ・ベストテンと同じ生放送。掛け持ちは不可能なため、久米は降板を考えていたが、何故か新聞で報道されてしまう。

降板報道から6日後の生放送、ザ・ベストテンに出演した久米と黒柳だが、二人は一切報道について触れなかった。それでも山田に本当のことを言わなかった久米だが、遂に黒柳に呼び出される。社運を賭けたニュースの真相は言えないため、黒柳にも視聴者にも、休養と勉強を理由に降板を伝えた。

そして1985年4月25日に迎えた卒業の回、ランキングには「卒業」という曲が2つランクイン。第一位のチェッカーズからは、久米と黒柳を応援する声が届いた。最後まで真相を話せないまま去った久米は、半年後にニュースステーションで復帰。キャスターとして大成功を収めたが、そこには沢山の犠牲があった。

久米宏は、ザ・ベストテンでの自信がなかったらニュースステーションの司会は出来なかったと話した。

28年振りにあのエンディング。

キーワード
ザ・ベストテン
ニュースステーション
BOOWY
尾崎豊
秋元康
山田修爾
斉藤由貴
菊池桃子
卒業
卒業-GRADUATION-
チェッカーズ

エンディング (その他)
23:13~

久米宏と黒柳徹子が、ザ・ベストテンに抱いていた気持ちを語った。黒柳は、あの番組が成功したのは真実を伝えたからだという。今回は出演者全員での記念撮影でエンディングを迎えた。

キーワード
ザ・ベストテン

エンディング (その他)
23:17~

エンディング映像。

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