FNSドキュメンタリー大賞 もし、このまちに…原発で描いた未来

『FNSドキュメンタリー大賞』(エフエヌエス・ドキュメンタリーたいしょう)は、FNN/FNS加盟28局が番組制作の質向上を目指すことを目的に1992年から毎年行っているドキュメンタリー番組のコンテストである。

出典:goo Wikipedia

放送日 2017年11月18日(土) 3:56~ 4:56
放送局 関西テレビ

番組概要

オープニング (その他)
03:58~

ハワイには沖縄県系人が推定4万5000人暮らしている。100年以上前、貧困にあえぐ沖縄の人は、希望を胸に海を渡った。沖縄から移民が船出して、100年あまり。海を渡った県系人の子孫およそ5000人が、故郷・沖縄に里帰り。5年に一度開かれる「世界のウチナーンチュ大会」に、ハワイの県系4世・エリックさんの姿も。幼い頃からエリックさんは、沖縄の歌や三線に親しんできた。歌を通して、ウチナーンチュスピリッツに触れてきたエリックさんは今、島の言葉・しまくとぅばが失われつつあることを心配して、悲しんでいる。今、消えゆこうとしている、しまくとぅば。もう一度、生まれ育った沖縄の言葉と向き合い、考えてみる。

キーワード
世界のウチナーンチュ大会
ハワイ州(アメリカ)
那覇市(沖縄)

オープニング (その他)
03:58~

東京電力・柏崎刈羽原子力発電所は最大出力821万2000kWを誇り、品田宏夫村長は新潟県刈羽村が日本の電力供給として日本経済の成長に貢献している自負があると語った。また東北電力により建設予定があった巻原子力発電所の旧建設予定地は現在では荒れ地となっている。1996年、巻町では原発を巡って全国初の住民投票が実施され、住民たちは原発建設をしないことを選択した。原発の建設を巡って住民たちの賛否は大きく別れ長期に渡って争いが発生し、各所で違った結論となった。今回はこのまちに原発があったら住民たちはどのような選択をするのか迫る。

オープニング映像。

キーワード
刈羽村(新潟)
巻町(新潟)
東京電力
東北電力
柏崎刈羽原子力発電所
巻原子力発電所
住民投票

もし、このまちに… 原発で描いた未来 (バラエティ/情報)
04:02~

2011年3月11日、東日本大震災の地震と津波で福島第一原発事故が発生し、それを受け2012年から柏崎刈羽原子力発電所は全ての原子炉を停止している。2016年には現状での原発再稼働を認めないと訴え出馬した米山隆一氏が新潟県知事選挙に当選した。米山知事は福島第一原発事故の原因などの検証を求めており、それらが検証されて初めて再稼働の議論が始まるとしている。一方で新潟県知事選挙において原発のある柏崎市・刈羽村それぞれで再稼働を進める与党が推薦した候補が米山知事の投票数を上回っており、後の柏崎市長選挙で事実上、再稼働を容認する桜井雅浩候補が当選している。桜井市長は再稼働により事故の対策費である21兆5000億円を東京電力に稼いでもらう意義があると語った。品田市長は事故があったからと言って原子力発電所が必要でなくなった事実はない現実なのだと述べた。柏崎商工会議所の内藤信寛元専務理事は刈羽村は原発建設前では積雪などによる災害に見舞われることが多く財政的に非常に厳しい現実にあり、町の発展のためには財源が必要で国家プロジェクトのような大きな計画が頼りだったなどと振り返った。

柏崎市では1967年、日本石油の柏崎製油所が廃止され、町は一気に衰退の一途を辿った。この当時、政界では柏崎市出身の田中角栄元首相が頭角を現し、高度経済成長の絶頂にあった日本で電力需要が急激に高まったため原子力発電所の建設が国策として進めていた。当時柏崎市長であった小林治助氏は総理に働きかけ原発立地自治体への交付金制度を実現させた。そして柏崎市の不毛の地とされていた砂丘地帯が原子力発電所の最適地とされ建設されることとなった。

新潟県旧巻町では1969年、巻原発建設計画が明るみとなり農業の町でもあった巻町の住民たちは30年近く原発建設計画を巡って大きく揺れ動いた。写真家の齋藤文夫は過疎の進む巻町と人々の暮らしを記録し続けてきた。1974年に角海浜の集落では最後の住民が転出し人の暮らしが集落から一切なくなった。その一人であった川口ヨノさんは都内に暮らす娘の早苗さんの自宅へ移り住んみ、故郷に戻ること無く92歳で亡くなった。

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刈羽村(新潟)
東京電力
柏崎商工会議所
柏崎刈羽原子力発電所
東日本大震災
福島第一原発事故
原発再稼働
新潟県知事選挙
柏崎市(新潟)
田中角栄元首相
小林治助氏
高度経済成長
川口ヨノ
巻町(新潟)
巻原発建設計画

生まり島ぬ言葉忘ね 国忘ゆん (バラエティ/情報)
04:02~

玉城臣之輔くんは沖縄県立北谷高校のクラスでは副委員長をつとめている。しまくとぅばの普及に取り組むNPO団体・沖縄ハンズオン。臣之輔くんは、中学生の頃からここで活動をしている。臣之輔くんにしまくとぅばを指導する安慶名達也代表。「私たちいま島に生きる人々が、自分の足元が見えていない状況というのがある。」などと安慶名達也代表が話した。

世界中から人気の観光地・ハワイ。1898年、ハワイはアメリカによって武力で統合された。当時、アメリカ政府はハワイ語を使うことや、フラを踊ることなどを禁止した。ハワイ島で開催された「Hilo Field Study 2017」は言葉の復興について学ぶツアー。世界中から集った参加者の中に、安慶名さんの姿が。安慶名さんをツアーに誘ったのは、エリック和多さん。授業中はもちろん、子どもたちは学校生活でハワイ語しか使わないという。アメリカ政府によって、文化活動を禁止されたハワイ。とくにハワイ語は、1980年代には話せる人が2000人以下に激減し、ハワイの人々はハワイ語を学校教育に取り入れるよう運動を展開した。そのおかげで、今では幼稚園からハワイ語を教え、大学では人材育成が行われている。ハワイ語の復興は、世界的な成功事例となった。

ホノルル市内の小学校で、エリックさんは子どもたちにハワイ語やハワイアンの文化を教えている。「赤ちゃんの頃からハワイアンのベビーシッターの所に預けられ、お父さんの方にハワイアンの友達がいっぱいいた。」などとエリックさんが話した。エリックさんが、しまくとぅばに強い思いを持つ理由は、沖縄からハワイに渡った移民1世のひいおばあちゃんの存在。「子供の頃からウチナーンチュのアイデンティティが強かったと思う。方言札の話を聞いてから、沖縄の言葉しまくとぅばが堕ちている理由がはっきりわかった。」などとエリックさんが話した。

「方言札」というのは、日本語を強制的に使わせるため、方言を口にすると罰としてこの札を首にかけられるというもの。戦前の公民科教育の中で編み出されたこの道具は、主に学校で使われた。戦後、日本から切り離され、アメリカ軍統治下に置かれた沖縄。本土復帰を目指す運動が盛んになった1970年ごろ、学校や家庭で正しい日本語を使おうという動きが活発化していった。一部の学校では、再び方言札が使われるなど、標準語奨励運動が加熱。しまくとぅばは、輝きを失っていった。最近の調査で「しまくとぅばが分からない」という人は、県民の3人に1人。数百年受け継がれてきた沖縄の言葉は、今まさに消えようとしている。

エリックさん達が3月にハワイで開催する勉強会に、沖縄ハンズオンが招待され、その勉強会で「しまくとぅば劇」を披露することになった。

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沖縄県立北谷高校
ちゃたんニライセンター
沖縄ハンズオンNPO
沖縄市(沖縄)
北谷町(沖縄)
Hilo Field Study 2017
ハワイ語
ハワイ州(アメリカ)
ハワイ島
ホノルル市(アメリカ)
仲村カナさん
ハワイ(アメリカ)
沖縄県
方言札
沖縄ハンズオン

生まり島ぬ言葉忘ね 国忘ゆん (バラエティ/情報)
04:14~

相談した結果、沖縄やハワイ移民の歴史を舞台で表現することになった。今回の舞台で臣之輔くんは大事な役を任された。

1941年、日本軍の真珠湾攻撃によって日系人の運命は大きく変えられた。県系2世の比嘉武二郎も他の日系人と同様に兵士となってアメリカに忠誠を誓う道を選んだ。現在ハワイで暮らす比嘉武二郎さんは沖縄を訪れた時、あの日の葛藤を語った。2歳から16歳まで沖縄で過ごした武二郎さん。敵国の兵士として親戚や友人がいる沖縄へと向かった。住民に投降を促すのが義務だった。普天間基地の中に残る壕。この洞窟には230人の住民が息を潜めていた。武二郎さんの島言葉に多くの命が救われた。

ハワイに暮らす武二郎さんに見てもらいたい。臣之輔くん、熱い思いを胸に旅立った。

みんな、エリックさんたちとは去年のウチナーンチュ大会以来の再会だ。軽快な音楽に自然と体が動き出す。エリックさんとともに活動するノーマン金城さん。ハワイで生まれ育った県系3世。三線は師範クラスの腕前。琉球舞踊の道場を持つエリックさん。臣之輔くんの踊りが気になったようだ。

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浦添市(沖縄)
真珠湾攻撃
普天間基地
ハワイ
武二郎さん
慈光園本願寺
ホノルル(アメリカ)

もし、このまちに… 原発で描いた未来 (バラエティ/情報)
04:16~

原発建設の始まった刈羽村では人口の増加という大きな変化が起こり、タクシー会社にも多大な影響が発生したなどと大和タクシーの元井春夫社長が当時を振り返った。1978年、原発1号機建設が始まった年には8万1337人だった人口が、建設がピークを迎えた1995年には約1万人の人口が増加していた。そして1997年に柏崎刈羽原発の全7基が完成し、柏崎市刈羽村には莫大な交付金と固定資産税が入り始め、住民たちは大きな恩恵を受けた。

1994年の巻町長選で選挙期間中に原発推進を表明していた佐藤完爾氏が3選を果たした。当時、町の幹部だった田辺新氏によると病院が計上する赤字補填に一般会計を捻出するなど苦況にあり、町を発展させるためにも原発誘致は1つの方策だったという。だが、建設反対派の運動により佐藤氏は辞職し、96年の巻町長選挙で笹口孝明氏が町長に選ばれた。そして原発をめぐる住民投票が行われることになり、推進派は原発立地による地域活性化と経済効果を訴えた。一方、反対派は原発の危険性を挙げ、坂井恵子さんは子供2人を抱えながら反対運動に参加していた。

1996年8月4日に住民投票の投票日を迎え、投票率は88.29%。結果は約6割の住民が建設反対を選び、東北電力は03年に巻原発の建設計画を撤回した。

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大和タクシー
柏崎刈羽原発
刈羽村(新潟)
佐藤完爾氏
笹口孝明氏
巻町(新潟)
原発
東北電力
佐藤晃郎副社長
柏崎商工会議所
小沢辰男
住民投票
幕田圭一社長

生まり島ぬ言葉忘ね 国忘ゆん (バラエティ/情報)
04:24~

エリックさんたちがこの日案内したのはホノルル市郊外の学校「カマカウイマージョンスクール」。この公立学校はハワイ語に特化したカリキュラムで行政の認可を受けている。子どもにハワイ語を学んで欲しいという親たちが通わせているのだという。校長先生はハワイアンであることを誇りにしていると胸を張る。言葉は使われてこそ活きる。言語復興の成功で知られるハワイも理想の形をまだ模索している。ハワイ語としまくとぅば。それぞれの復興を目指すエリックさんが若者たちに伝えたかった思い。

沖縄戦で島言葉を使い住民を救った比嘉武二郎を演じる臣之輔くん。なんだか苦戦しているみたい。アメリカ兵となって故郷の地を踏んだ比嘉武二郎。怯える沖縄の人々を前にしてどんな気持ちだったのか。

沖縄文化の継承やアイデンティティについての勉強会当日。臣之輔くんにあることが伝えられた。比嘉武二郎さんが参加できないことになった。

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カマカウイマージョンスクール
ハワイ
比嘉武二郎
比嘉武二郎さん

もし、このまちに… 原発で描いた未来 (バラエティ/情報)
04:30~

原発を作らないという選択をした巻町、そして原発を立地した柏崎刈羽。地域経済の発展という願いを託した原発誘致。しかしそこに待っていた現実は人口流出による地域の疲弊だった。柏崎市では原発立地で得られた交付金を活用し、新たに情報関連産業の育成と集積を目指し、1987年に専門学校を開校するが、肝心の生徒が集まらず、2001年に閉校。こうした状況のなか、財政を支え続けてきたのは原発施設からの固定資産税など。原発マネーが現在も市の財政の15%を占める。刈羽村も状況は同じで、予算の約半分ほどの原発マネーが入る。これらは施設の維持管理、福祉や医療などの財源としても欠かせない。

原発を動かすためには様々な分野で働く人がいる。原発の早期再稼働を願う声も町には強くある。福島原発事故などにより、2012年3月以降、柏崎刈羽原発のすべての原子炉が停止している。継続的に発動することが、地域の経済が回る重要なことだと話す。原発停止や人口減少により客商売は難しくなり、1985年から地域住民に愛されてきた居酒屋は閉店を決めた。

キーワード
巻町(新潟)
柏崎市(新潟)
桜井雅浩市長
刈羽村(新潟)
柏崎刈羽原発

生まり島ぬ言葉忘ね 国忘ゆん (バラエティ/情報)
04:32~

勉強会に参加するのは県系3世・4世の人達。ハワイやアメリカ本土からも多くの人が参加している。沖縄ハンズオンの舞台。まず披露した劇はしまくとぅばを禁じた方言札の話。しまくとぅばを否定した歴史はハワイの人達にどう写ったのか。「言葉に出来ない」「今に近い出来事ということに恐ろしさを感じた。大昔ではなくて近い時代であることに」と話す。そっくりな体験をモチーフに書かれた詩がある。それは劇でも取り上げられた沖縄を代表する詩人・山之口貘の「弾を浴びた島」。「島の土を踏んだとたんにガンジューイとあいさつしたところ、はいおかげさまで元気ですとか言って、島の人は日本語で来たのだ。郷愁はいささか戸惑いしてしまって、ウチナーグチマディン ムル イクサニ サッタルバスイと言うと、島の人は苦笑したのだが、沖縄語は上手ですねと来たのだ」。

エリックさんとともに活動するノーマン金城さん。ハワイの地で沖縄の文化や歴史を継承しようと日々取り組んでいる彼は72年前にハワイで起きた出来事を話した。沖縄戦当時、アメリカ軍はおよそ3000人の捕虜を沖縄からハワイにある日系人収容所に送った。捕虜となって絶望し、食事を拒む人も居た。このままでは命にかかわる。沖縄県人会は同胞を救うためにあることを思いついた。三線の先生たちがゲートの前で三線を弾き、捕虜の人達はカチャーシーを踊りながら出てきたという。歌・三線で命を助けた。♪懐かしき故郷

いよいよ、沖縄ハンズオンの舞台。ハワイ移民と武二郎さんの物語を披露する。

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琉球アイデンティティカンファレンス2017
沖縄ハンズオン
山之口貘
沖縄県立図書館
弾を浴びた島
ハワイ
沖縄県
池原正晃先生
懐かしき故郷
ハワイ(アメリカ)
サンドアイランド
武二郎さん

もし、このまちに… 原発で描いた未来 (バラエティ/情報)
04:42~

東北電力が原発建設計画を正式に撤回した2003年から2年後、巻町は新潟市と合併する。しかし人口は減少し続け、商店街にもシャッターが目立つ。商店街の一角にあるはしもと玩具店はインターネットを使って広く世界にお客がいる。原発があってもなくても商店街のシャッターは締まり続けている。原発が原因ではなく、むしろ依存し対応策を見つけようとする姿勢が生まれないと話す。

東日本大震災、福島第一原発事故から6年。2012年から運転を停止している柏崎刈羽原発では、免震重要棟の耐震不足の問題などにより、再稼働に向けたハードルは高いまま。原発を巡る全国初の住民投票から20年、巻原発建設をめぐる争いや消えた集落の歴史などを記録した写真展が開かれていた。写真を撮影した齋藤さんは、より一層地域を輝かせる方法を考えてもらいたいと語る。

原発建設にともなう企業誘致のために整備された漆山工業団地。そこに今、新たな産業が根付き始めている。柏崎の若い経営者達が作る明るい柏崎計画は、各企業の技術を集め防災ラジオの開発を進めている。原発は関係なしに柏崎の産業を見直し、新しい価値観を見出すことができるのは若い世代しかいないと語る。原発を作った町と作らなかった町、2つの異なる選択をした町は、今、同じように人口減少による地方の衰退に直面している。故郷の未来のため本当に必要なものは何か、再び私たちに問われている。

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巻町(新潟)
新潟市(新潟)
はしもと玩具店
東日本大震災
福島第一原発事故
柏崎刈羽原発
JASPA
柏崎市(新潟)

生まり島ぬ言葉忘ね 国忘ゆん (バラエティ/情報)
04:43~

会場の外で開演を待っていた人は沖縄戦で多くの住民を救った元通訳兵の比嘉武二郎さん。武二郎さんを演じる臣之輔さんの舞台を観てもらいたいと、県系人の人達が自宅まで迎えに行ってくれた。でも武二郎さんが来ているとは臣之輔くんには内緒で舞台が始まった。そして舞台はアメリカ兵になったウチナーンチュ、比嘉武二郎の物語へ。舞台が終わり、比嘉武二郎さんと臣之輔くんは対面し、言葉を交わした。

キーワード
汗水節

エンディング (その他)
04:49~

昔の人は言いました。生まれた島の言葉を忘れることは故郷を忘れてしまうことだと。遥か彼方から故郷を思う人々からのメッセージ。それは島の言葉を忘れてはならないということ。

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