放送日 | 2018年8月14日(火) 8:00~ 9:15 |
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放送局 | 朝日放送 |
オープニング映像が流れた。
横山アナが「100回目の夏は大会10日目を迎えた。ゲストの方にお越しいただいている。昨日に引き続き熱湯甲子園キャスターの古田敦也さん。そしてもう一人、高校野球大好きとしておなじみの、かみじょうたけしさん。」などと話し、かみじょうさんが「ほぼ毎日きてます。各校のアルプススタンドで演奏されている吹奏楽が素晴らしい。アメトーーク!さんで曲を作って、創志学園さんがそれをやってくれている。奈良大附属さんは今年からチャンステーマで青のプライドという曲をやっていて、アメトーーク!の応援歌を作ったジントシオさんが作った。」などと話し、かみじょうさんが「7月の待つにジンさんと食事に行った際に奈良大附属が初出場で曲を作ってやって下さいというといいですよといって作ってくれた。」などと話した。横山アナが「きょうは3試合が予定されている。第2試合では1回戦で14の三振を「奪った吉田投手要する、金足農業が大垣日大と対戦する。第3試合は夏連覇を狙う花咲徳栄が強豪横浜と対戦する。」などと話し、古田さんが「第一試合の常葉大菊川は選手は監督のこととしさんと呼び、監督もサインを出さない。」などと話した。
大阪桐蔭、春夏連覇へ!
きのうの近畿勢の戦いを振り返る。きのう大阪桐蔭は6回、青地のレフトへのタイムリーヒットでリードを広げる。7回ウラ、根尾がバックスクリーンに運ぶホームラン。藤原の逆方向へのホームランでさらにリードを広げる。試合結果:大阪桐蔭10-4沖学園。大阪桐蔭でかみじょうさんが注目しているのは藤原選手で、とにかく足が速い。1年生の時に陸上部の選手に運動靴で勝ったことから注目されたという。
近江と前橋育英の試合を振り返る。1回のウラ、近江の北村がライト前のヒットで先制する。2回オモテ、前橋育英の恩田のセンター前への2点タイムリーで近江は逆転を許す。6回ウラ、満塁の場面を作った近江、打席には家田。レフトへのタイムリーヒットでスコアをタイに戻す。9回ウラ、近江はノーアウト満塁のチャンスを作り打席には有馬。センターへのサヨナラ勝ちを決める見事なタイムリーヒット。試合結果:近江4×-3前橋育英。かみじょうさんの近江の注目選手は北村恵吾選手。岡本和真選手のような柔らかい選手になってほしいという。
このあと…3代目優勝旗制作に密着。
大会10日目を迎えた100回目の夏。このあと9時30分から第一試合が予定されている。先日お披露目された3代目の優勝旗、1年の密着によってわかった匠の技とは…。
6月27日、阪神甲子園球場。この中に3代目、真紅の大優勝旗が…60年ぶりの新調へ。
新たしい優勝旗の制作は、今から1年以上前、京都で始まった。まず下絵、2週間かけて下絵の全てを写し取った。初代優勝旗は、1915年、第1回大会に合わせて作られ、今も甲子園にある歴史館に飾られている。大卒初任給が30円の時代に1500円かけて制作され、当時は家が一軒建つとも言われた。2代目は1958年、第40回大会の時に新調。以来60年もの間、夏の甲子園の象徴として全国を飛び回ってきた。
真紅と形容される優勝旗。その色を決めるのが、糸の染色。染料のバランスは職人の経験だけが頼り、1グラム以下まで調節を行い、丁寧に染め上げていく。いよいよ織る作業に入る。染め上げられた千本以上の糸は織機と呼ばれる機械に1本1本張られ、全て手作業で織られていく。担当するのは伝統工芸士の池谷さん。優勝旗は500年以上の伝統を誇るつづれ織りで作られる。糸の下に敷いた下絵と照らし合わせながら、柄や曲線を緻密に描いていく。そのため1日8時間下り続けても1日数センチしか進まない。一方、装飾品の制作も京都で進む。こちらでは旗の先につく三宝剣、旗を支える金具が作られる。旗の周りを彩るフレンジは、今や手で作っているところは全国で数えるぐらいしかない。優勝旗の制作が進む中、2代目優勝旗は最後の晴れ舞台を迎えていた。
織り始めから4ヶ月が経った10月。重要な局面を迎えていた。旗の象徴でもある鳩の目を織る作業。そして12月、織りが完成した。関係者を集めてお披露目、半年をかけて織られた3代目の真紅の優勝旗の全貌が現れた。
制作開始から1年2ヶ月、3代目の優勝旗がグラウンドに登場した。甲子園に掲げられた優勝旗を見て、池谷さんは「外でみると鮮やかだなと感激しました。」などと話した。今年100回目を迎えた夏の高校野球。新しい優勝旗は球児たちの歴史を脈々と受け継いでいく。
3代目優勝旗について「職人気質なのにそれを全面に出すわけでなく。優しくなりすぎないようにしたかったという思いを旗に詰め込んでいる。」などと古田さんらが話した。
このあと…清宮フィーバーに沸いたあの夏。
バーチャル高校野球の紹介。
高校通算ホームランの最多記録を塗り替えた、清宮幸太郎選手を取材。
清宮はプロ入り後、5月に初ホームランを放って新たな一歩を踏み出した。清宮は高校野球を振り返り、「自分の人生を変えてくれたし、野球に対する取り組み方や考え方を学んだ3年間だった」と語った。印象に残っているのは夏の大会だそう。97回大会は清宮フィーバーで盛り上がる中、清宮はホームランを次々と打った。その時のことについては、「本当にこんな舞台があるんだなと思い、1試合1試合楽しめた」と話した。そんな彼にとって高校野球とは「青春」だという。その理由は、試合1つずつにかける思いや耐えてきたもの、いろんな思いを込めて戦うのがませに青春であるから。だが清宮の3年間は順風満帆でなく、1年の夏は準決勝で敗退し、主将として臨んだ夏は甲子園まであと一歩のところで敗退した。それを清宮は、「でも1つ1つのことを乗り越えていくから次に進めるし、そういうことも含めて高校野球」と前向きな言葉を発した。最後に清宮から高校球児へ、「後悔のないように。相手に合わせるのではなく自分の最大限のプレーをしてほしい」とメッセージを送った。
このあと、100の歴史で生まれた記録。
記録で振り返る100の記憶 ~伝説の試合編~をお届けする。数々の激闘の果に記録で振り返る100の記憶。
第88回大会(2006年)準々決勝、智弁和歌山-帝京の戦い。智弁和歌山馬場のホームランを皮切りに智弁和歌山は7回までに4本のホームラン。対する帝京は9回塩沢が追撃のホームランを放つと杉谷のタイムリーで遂に逆転した。さらには沼田のホームランで帝京がリードを広げる。そのウラ智弁和歌山の橋本が1点差に詰め寄るホームランは大会最多の7本目となった。激闘の結末は、以外にも押出フォアボールでの決着だった。
第80回大会(1998年)2回戦、豊田大谷-宇部商の戦い。宇部商業の藤田はノーアウト満塁のピンチにボークでサヨナラとなった。この大会は最多残塁という記録が生まれていた。両チーム合わせて32残塁。藤田はどれだけ打たれても粘り強い投球を記録に残した。
第19回大会(1933年)準決勝は明石中-中京商、試合は延長25回中京商業がサヨナラ勝ち史上最長4時間55分の激闘だった。
最も短かった試合は第29回大会の小倉中-岐阜商の戦いだった。わずか1時間12分で試合は決着した。
第85回大会(2003年)3回戦は平安-東北の戦いは東北ダルビッシュと平安服部の2年生エースが戦いあった。次々三振を奪っていく2人。服部158球目延長11回でヒットを許しサヨナラとなった。この試合の奪三振数はダルビッシュが15個、服部が17個で二人合わせて32個で一試合の最多記録となった。
VTRを振り返って、古田さんは「延長25回が一番印象に残っている。100回の歴史をああだったんだなと感じさせてくれる映像だった。」と語る。かみじょうさんは「服部、ダルビッシュの投げ合い。」だったと語った。
このあとは、「マエケンの3年間」
第96回大会(2014年)1回戦は大垣日大-藤代での記録は1回藤代の攻撃8点を奪いと大垣日大は7回に1点差へ追いつく。8回の攻撃で同点に追いついた。大垣日大の野崎がHRを放ち逆転勝利した。
きょうは3試合が行われる予定となっている。第1試合の常葉大菊川と日南学園の選手が準備を進めている。この後、9時30分から第1試合が予定されている。「熱闘甲子園Magazine」好評発売中!。「熱闘」だけが知る物語が詰まった1冊!。
前田健太投手が名門PL学園での3年間を振り返った。高校3年間が原点になっていて、PL学園は勝たないといけない宿命があった。メジャーリーガー、前田健太。
2004年夏、史上初の引き分け再試合の大阪大会決勝戦「PL学園VS大阪桐蔭」。大一番で先発に抜擢されたのが入学したばかりの前田健太だった。小学校中学校か絶対PL学園に行くっていう目標を持っていた、PL学園じゃなかったら今の自分はなかったかもしれないという。7回ウラ2アウト1塁2塁で3点差につめよられるも三振で切り抜ける。9回ウラ、セカンドゴロで完投勝利で、2年連続甲子園出場に導いた。「PL学園13ー7大阪桐蔭」。あの試合で人生はがらっと変わったという。桑田2世とも呼ばれ、1年生で甲子園のマウンドにもたった。高校野球とは、「耐」。PL学園は勝たないといけない宿命があって、勝って当たり前というプレッシャーが常につきまとっていた。3年間、苦しい環境を耐え抜いたから今があるかなと思う。2年の夏、大阪大会準々決勝、チームの甲子園連続出場を止めてしまう。「大阪桐蔭4ー2PL学園」。3年の夏、PL学園は優勝候補の筆頭だったが、最後の夏も甲子園には届かなかった。「東大阪大柏原9ー6PL学園」。負けた悔しさの涙じゃなくて、みんなと野球ができなくなる悲しさが強かった、みんなで助け合って練習を耐える、試合に勝つ、それが野球の醍醐味だと思うという。勝ち続けなければならなかったPL学園で学んだことは、今思えば負けてよかった。あそこで負けた悔しさがプロに入ってこの先野球人生で絶対やり返したいとなった。前田は広島の絶対的エースに成長し、メジャーリーガーにもなった。高校球児へ伝えたいことは、勝つのが一番だけど、自分の人生において「良い負け」もある、負けが良い勝負もあることを分かってほしい。
横山アナが「負けていい勝負もあると前田投手」などと話し、古田さんが「負けたことに対して絶望することはない。PLならではのプレッシャーがあって非常に苦悩がある。そこが彼を成長させたのかなと思う。」などと話し、かみじょうさんは「大阪桐蔭の試合を見に行っていた。高校野球は挫折を教えてくれるのかなと」などと話した。
近畿100回の歴史。
兵庫は全国3位の勝ち数を誇る。第19回大会では明石中が死闘を繰り広げた。延長25回に明石中は無念のサヨナラ負け。第59回大会では東洋大姫路が史上初の決勝戦サヨナラHRで勝利した。第63回大会では報徳学園が早稲田実業に延長10回サヨナラ勝ちした。第75回大会では育英が初優勝した。
滋賀県勢の過去の試合を振り返るVTRが流れた。甲西は2試合連続サヨナラ勝ちしミラクル甲西と呼ばれた。第83回大会では滋賀県勢初の決勝に進出した。
京都勢の過去試合をVTRで振り返った。1回大会では京都二中が優勝。龍谷大平安は全国3位の34回出場。
甲子園通算100勝となる龍谷大平安のサヨナラのVTRが流れた。
兵庫出身の古田さんは「報徳、東洋大姫路は僕らの頃は2強ですよね」などと話した。
つづいて…松井裕樹投手、最後の夏に秘められた想いとは。
松井裕樹投手のエピソードを紹介するとの事。
松井裕樹投手のエピソードが紹介された、楽天の松井裕樹は「何でもない中学生だった僕をプロまで上り詰める道筋をつけたのが高校野球」と語った。松井選手は鋭いスライダーを武器に2012年の甲子園で三振の山を築き、バッターとしても活躍した、三振は22個で大会記録、残りアウト1つの際には相手校の応援歌を口ずさんでいた。高校野球を振り返った松井は「高校野球で出会った仲間は大切です、3年間で絆を深めて、これからの僕の人生でも大切な3年間だった」とコメントした。同級生が白血病にかかった事について松井は「あいつを甲子園に連れて行こう、1年間頑張ってきた」とコメントした、最後の夏は甲子園に連れていけなかったが、絆という言葉に当てはまるとの事。松井は「今やってる仲間は人生で最後まで仲間になると思う、仲間とプレーできる喜びを感じながら、元気一杯やって欲しい」とコメントした。
スタジオの出演者は松井裕樹について、「高校野球が大好き、クイズを出してくる」などとコメントした。
常葉大菊川vs日南学園の試合がまもなくプレーボールとなる事を伝えた。
今日予定されている3試合を紹介した。第3試合は古田さん注目の花咲徳栄と横浜の試合。かみじょうさんは球児に「完全燃焼してほしい、これだけ。」などと話した。
「熱闘甲子園」の番組宣伝。
エンディングでかみじょうさんが板東英二さんのものまねで「僕が出てきてへんがな。振り返ったらまず僕やろ。」などと話した。
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