災害列島2018 巨大災害は必ず来る!! 私は見た!“決定的瞬間”

放送日 2018年3月3日(土) 14:30~16:25
放送局 朝日放送

番組概要

オープニング (その他)
14:30~

年明け早々草津白根山が突然噴火。無防備なスキー客を襲ったのは巨大な噴石。福井では記録的な大雪が。もはやいつどこで自然災害に巻き込まれるかわからない。振り返れば日本は巨大災害に見舞われ続けてきた世界有数の災害大国。ひとりひとりが心に刻んだ過去の災害の記録を掘り起こし、未来へ伝えるべく命の教訓を導き出す。

キーワード
草津温泉観光協会HP
大雪
噴火
鬼怒川決壊
阪神淡路大震災
三原山噴火
草津町(群馬)
坂井市(福井)
草津白根山
鬼怒川
伊豆大島

災害列島2018 巨大災害は必ず来る!! (バラエティ/情報)
14:31~

去年7月の九州北部では豪雨に見舞われた。観測史上最多、これまでの記録を2倍も塗り替える雨が局地的に降り注いた。原因は線状降水帯。巨大積乱雲はなぜ生まれたのか、その謎に迫る。被害を拡大させた土砂災害。濁流が町を飲み込んだ。杉や檜など、林業がさかんな地域だったため、流木が家々を直撃。41人が死亡する大惨事となった。中でも最大の土砂災害が起きたのが大分県日田市。番組は土砂崩れの瞬間映像を独自入手。そこに映し出された決定的瞬間とは?土砂津波のおそるべき猛威を最新データから分析する。消防ヘリ隊が初公開する救助映像には緊迫の救出劇が捉えられていた。5日間孤立した家族は避難するまでの一部始終をカメラに記録していた。小さな川が突如荒れ狂うどす黒い濁流へと変貌。集落に襲いかかる。土砂崩れによって川がせき止められ、巨大な土砂ダムに。決壊の恐れがあった。生死を分けた瞬間とは?

キーワード
九州北部豪雨
線状降水帯
土砂災害
土砂津波
福岡県
小野(大分)

災害列島2018 巨大災害は必ず来る!! (バラエティ/情報)
14:37~

このあと「災害の記憶」。

大分県日田市には大小200もの河川が周囲の山々から流れ込む「水郷」と呼ばれる独特の風景を生み出している。去年7月5日に発生した九州北部豪雨では川が次々と反乱。日田市では死者3人、負傷者4人に。大きな被害を受けたのが小野地区。870人ほどが暮らす山間の集落だ。ことし1月に番組取材班が向かってみると、生なましい土砂崩れの痕が残っている。それは小野地区の中心部にある集落のすぐ近くで起きた。斜面は高さ300m、幅250mに及ぶ。崩落を目撃した男性によると、杉の木が立ったまま動いている、山が動いている、バーンと当たって石が飛び始めたと話している。実際に飛んできた石は巨大で、これが集落を直撃。吹き飛ばされてしまった家々。3人の死傷者を出した。

番組は3人の被災者が撮影した土砂崩れの瞬間の映像を入手。検証することに。まずは崩壊現場から150mのところで撮影された映像。17年7月6日午前10時頃、撮影者が思わず走って逃げる。後ろからは土石流のようなものが迫っていたという。映像を拡大して見てみると、画面奥にある斜面が滑るように落ちていることがわかる。崩壊してから5秒ほどで下に到達。巨大な土煙を上げて集落を襲っていた。続いては先程の映像の直後に少し離れて撮影された映像。今度は画面手前の斜面が崩れている。

最後は崩壊現場の北側から撮られた映像。音から崩壊は複数回発生していたことがわかる。この動画を土木の専門家である鶴成博士に見てもらった。鶴成博士によると動画の崩落は段階を経て全体の地滑り性の崩壊をしている。地下水が上昇して事による深層崩壊が起きたとみられると説明。今回流れ出た土砂は50万トンとみられ、対策について鶴成博士は「災害が発生するような雨が予見できる時は早めに避難する」と話した。

「土砂災害」に巻き込まれたが、九死に一生を得た女性を紹介。女性が助かった際の救助映像が初公開される。

キーワード
九州北部豪雨
土砂崩れ
日田市(大分)
小野(大分)
大分大学
土砂災害
小林幸子
団長
安田大サーカス

災害列島2018 巨大災害は必ず来る!! (バラエティ/情報)
14:46~

去年7月の九州北部豪雨で土砂崩れが発生した大分県・日田市小野地区。美野直美さんは前日に大雨警報を受け、避難所に身を寄せていた。翌朝、雨があがったことで自宅に荷物を取りに向かった時、土砂崩れが津波のように襲いかかり巻き込まれた。美野さんは頭の上まで土砂に埋まり、全身を複雑骨折。泥沼からなんとか自力で這い出し、集落の人達の手も借り高台へ避難。助けを待つことになった。小野地区から発せられたSOSの救出に動いたのは国からの要請で大分に災害派遣に入っていた山口県消防防災航空隊。小野地区に向かう進路には雲や霧が濃く、ヘリでの救助には困難な天候で、霧を避けながら通常よりも時間をかけて到着。現場は土砂で埋め尽くされ、救急車での救出は困難で燃料を計算するとタイムリミットは15分しかなかった。地元の消防隊が応急処置をしていたのが美野さんだった。美野さんはケガ人を固定するバックボードが取り付けられていて脊髄損傷の可能性があり、ヘリのローターによって起きるダウンウォッシュでケガをしてしまう可能性があるという。そこで陸地の別の隊員が揺れを防ぐためにロープを張り上げていくことにした。容態を悪化させないよう、慎重に釣り上げていく。10分でミッションを遂行。一命をとりとめた。

九州北部豪雨で土砂崩れによって土砂ダムが出現し、孤立集落となっていた地区にある、徳勝寺の人々を取材した。寺の工藤さん一家は、5日間の孤立生活をカメラにおさめていた。その映像や、取材を基にした再現映像によって、九州北部豪雨の当時の様子を振り返る。

奥さんのすみえさんは夫や子ども達を送り出した後、赤ん坊の世話をしながら眠ってしまったが、雨の音で目が覚めたという。この時、水蒸気を大量に含んだ2つの風が西側で衝突し、巨大な積乱雲を発生させていた。さらにそれが風に流されると新たな積乱雲が次々に誕生し、バックビルディング現象と呼ばれる現象が発生していた。連なった雲は長さ100キロの線状降水帯を形成し、9時間に渡り大量の雨を流した。午後2時すぎ、子どもたちを迎えに行った。その頃には川は増水し一部では濁流が堤防を越え浸水する家屋も出ていたが、なんとか子どもたちを連れ家に帰った。午後3時15分、避難勧告が発令されたが、一家はこの状況で逃げるほうが危険だと判断し家に残った。住職の工藤正徳さんは「寺は高い位置にあるし床下も高いのでここのほうが安全だと思った」などと語った。

突然、檀家の女性が「70代の母親を家から助け出して欲しい」というお願いを電話でしてきた。その家は川を挟んだ反対側の山の中にあり土砂崩れの危険があった。先代の住職夫婦が助けに向かったが、川に架けられた橋のたもとには大量の大木が流れてきており、そこから巨大な水しぶきが出ていた。しかし夫婦の前に1台の白い軽トラが通ったのを見て、橋を通ることを決心した。そして女性を無事に救出し、寺へと連れ帰った。その直後、檀家の家で土砂崩れが発生した。避難していなければ命の危険もあった。実際に助けられた女性は「出て行く車もないしどうしようもなかった。ありがとうございますしかない」などと語った。

豪雨の翌日、雨は上がったものの、停電になり、携帯が圏外になり、テレビもつかず、固定電話もつながらなくなった。この時、寺から2キロ程離れたところで巨大な土砂崩れが発生し、電気などのライフラインが破壊された。土砂が川をせき止めたため、巨大なダム湖が出現し、再び雨が降れば、決壊や氾濫を起こす危険があった。何も知らない工藤さん一家は寺にとどまり続けたが、土砂崩れの2日後、近所の住民から情報を聞きつけ、外の様子を見に出かけた。そこで初めて土砂ダムの現実を見て恐怖を覚え、道路を塞がれ自分たちが孤立していることに気がついた。その夜、赤ん坊が熱を出し泣き始めたが、ミルクもなく泣き止ませることが出来なかった。すみえさんは「水が襲ってくるという恐怖と、子どもたちを避難させなくてはという思いで、心的ストレスだった」などと当時の心境を語った。豪雨発生から5日目、工藤さん一家は地区の避難所にやってきた自衛隊のヘリに救助を要請した。熱がある娘を抱いて、無事に町に避難した。すみえさんは「まったく情報が入らないのがこんなに不安なのかと改めてわかった」などと語った。工藤さんは「地域の人たち同士で情報を交換し合うことが本当に大切」などと語った。

1964年、東京オリンピック開催4か月前の6月、新潟を巨大地震が襲った。マグニチュード7.5の揺れは、建設ラッシュで建てられた最先端の団地をなぎ倒した。道路には亀裂が入り、線路は寸断、経済成長の原動力となっていたコンビナートで大規模な火災が発生した。津波も押し寄せ、1960棟の建物が全壊、26人が犠牲になった。

小林幸子は、当時10歳で新潟地震を目撃した。新潟生まれの小林幸子は、9歳で出場したオーディション番組で人気ものになり、単身上京し地震の直前に10歳で歌手デビューを果たした。地震によって、精肉店を営む両親と姉が被災した。しかし発生当時は電話が通じず、家族の安否は5日たってもわからなかった。小林幸子は電車が止まっている中、報道機関のバスで新潟へ向かった。「実家に近づきながら、公営住宅が倒れているのを見て、こんなんになっちゃうんだ、うちはもう無いなと思った。ショックで足がすくんだ」などと当時の思いを語った。家族と歩いた道路は粉々にひび割れ、一ヶ月前に完成した昭和大橋は橋桁が折れ川に沈んでいた。

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山口県消防防災航空隊
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災害列島2018 巨大災害は必ず来る!! (バラエティ/情報)
15:15~

当時10歳で新潟地震の被害の大きさを目撃した小林幸子は、家族の安否が5日たってもわからない状況だった。小林幸子は「もう死んでしまったとか、デマの情報が飛び交っていた」などと語った。自宅周辺は液状化で浸水し、実家も1階が水没していた。そんな中、給水車に並ぶ人々の長蛇の列の中に家族を発見した。小林幸子は、父が語った地震発生の瞬間の話が今も忘れられないという。父によると、外で聞いたことのない鳥の鳴き声がすると思っていたら、ドカーンと来たのだという。その音は後からアスファルトの亀裂の音だと分かったという。実家の精肉店は続けられなくなり、苦しい状況だったが、その中で小林幸子は学んだことがあったという。「家族や近所の人々の姿を見て、絆やつながりが一番だと思った。お金は必要だが人を助けるのは人」などと語った。

1959年に伊勢湾台風が発生し大きな被害をもたらした。最大瞬間風速55mの巨大な台風は紀伊半島に上陸し、猛烈な暴風雨と高潮により伊勢湾沿岸を濁流で飲み込んだ。死者・行方不明者合わせて5098人という史上最悪の台風災害となった。

1959年の伊勢湾台風発生時の状況について、中学3年生でその渦中にいた松原智恵子が語った。最も被害が大きかったのは名古屋市で、観測史上最高の3.89mの高潮が発生した。特に松原智恵子が住んでいた南区では堤防が決壊し、海水が一気に家々を飲み込んだ。自宅1階は浸水し、停電のため真っ暗な2階で家族と過ごしたという。その夜の状況について、「流されてしまった人々が助けてと叫んでいるのが聞こえたが、真っ暗なので何もできなかった」などと語った。一夜が明けると、あたりは海と化していた。名古屋市では、1800人を超える犠牲者が出た。

新潟地震の真実を、当時93時間に渡り取材し続けた記者が語る。

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皇太子殿下
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伊勢湾台風
暴風雨
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浸水
停電
名古屋市(愛知)

災害列島2018 巨大災害は必ず来る!! (バラエティ/情報)
15:25~

1959年、伊勢湾台風の惨状を取材した2人の女性がいた。1人はNHKアナウンサーを経て女優になり、去年亡くなった野際陽子さん、もう1人は1年後輩だった下重暁子さんだった。下重暁子さんは、「死体が浮いているのを毎日見ていた。水浸しの中に点々と家があり屋根の上でたくさんの人が手を振っているが、何もすることができなくて辛かった」などと語った。中でも両親を失った幼い男の子が「お母さんが水が来るから押入れにいるように言ったので押入れにいたら、飼っていた金魚が自分の方に流れてきた」などと詩を読むように話してくれたのが忘れられないという。「何と言っていいのかわからなかった。その声は今も覚えている」などと語った。松原智恵子は「災害はいつ起こるか分からないので準備をしておく。行政機関やメディアは情報を強く伝達していただきたい」などと語った。

1995年、阪神淡路大震災が発生した。マグニチュード7.3、最大震度7の直下型地震で、直後に起きた火災により被害は拡大し、死者6400人以上、負傷者は4万人以上にのぼった。

安田大サーカスの団長安田さんは、兵庫県西宮市で生まれ育ち、20歳で阪神淡路大震災を経験した。「自分が跳ね上げられるようなドドドドという音がして、起きたらスキーブーツが壁に突き刺さっていた」などと当時の状況を語った。変わり果てた町の中で、甲子園口駅前にあった7階建てのマンションが倒壊しているのを発見した。そこに住んでいた山口恵介さんは、小・中学校の同級生で、大人になってからも一緒の仲間だった。当時フリーターをしていた安田さんに芸人になることを強くすすめてくれた親友だったという。震災の2日前には、揃って成人式に出席したばかりだった。「何とか生きていてくれという思いだった。代わりばんこに誰かが声をかけに行った。最初は声が聞こえた気がした」などと語った。救助活動は徹夜で行われ、倒壊した建物から生存者が救助されていった。4日後、助け出されたのが”恵介かもしれない”という情報を得るも、ブルーシートで覆われていてわからなかった。しかし、恵介さんはすでに亡くなっていたことが分かった。安田さんは芸人になる決意を固め、震災の翌年、タレント養成所へ入った。「芸人やれやっていう言葉が蘇ってきた」などと語った。23年経った今も、親友の存在は心の中にいる。墓参りをした安田さんは「おかげで頑張れてるで」と声をかけ、「頑張りが足らんと言われているような気がします」などと語った。

今年1月、草津白根山の噴火では、噴石による被害が出た。噴石の恐怖は、4年前の2014年の御嶽山の噴火でも起きた。無数の噴石が、時速300キロのスピードで登山客に降り注ぎ、58人が亡くなる戦後史上最悪の噴火災害となった。噴火に巻き込まれた登山愛好家の林禎和さんが当時の状況を語った。その日は天気も良好で、山登り日和だったという。山頂にたどり着き、昼食をとろうとした時に噴火は起こった。林さんは「黒い煙が広がって、白い粒粒の石が舞い上がるのが見えた」などと語った。この黒い煙は、大小の無数の噴石を含んでいた。林さんは「ヘリからの機銃攻撃のように噴石が降り始めて、石と石が当たって砕けて火薬のような臭いがした。これで死ぬのかなと思った」などと語った。林さんは、幸運にも大きな噴石には当たらなかった。場所によっては直径50cmの巨大な石が降り注いでいた。林さんは山荘に避難した。助かった理由は、地図で避難経路を確認するなどの事前の準備にあったという。「どこにいるべきなのか、自分が現在どこにいるのかを確認し備えておくことが重要」などと語った。日本には、現在噴火の可能性がある火山が、111ある。その中には富士山も含まれている。林さんは「観測体制の強化と、受け取る側の私達もアンテナを張ることが大事」などと語った。

2004年、新潟中越地震が発生した。土砂崩れに巻き込まれた2歳の男の子が救出される様子は全国に生中継された。新潟テレビ21の記者木村陽介さんは、地震発生から救出までの93時間、現場から被災地の様子を伝え続けた。最大震度7の地震が襲った瞬間について「激しい横揺れで身動きがとれなかった」などと語った。地震の直後から、カメラを回し、商店街を歩いて人々の様子を撮影した。映像で、本震からわずか40分で6回目に起きた震度5以上の余震の様子もとらえた。木村記者は、「県民に情報を出している中で被害を伝えるだけでなく、被災者に物資や避難所などの生活情報を出していかなくてはと思っていた」などと語った。長岡駅前で、数百人もの人が、電車もバスも止まり携帯もつながらず行き場を失っている姿が印象的だったという。木村記者は、「災害が起きた時に自分がどう行動するかを普段から考えておくことがすごく大事なことだと実感した」などと語った。

地震発生から3日目、行方不明の親子がいるという情報が入った。その翌日、親子は土砂崩れに巻き込まれたことが分かった。土砂の中からは、車の先端部分が見えていた。木村記者は捜索が始まる前に現場の対岸に到着した。やがて東京からハイパーレスキュー隊が到着した。隊員は車のそばへ近づくも、余震が発生し、車のほとんどが土砂で埋もれるという絶望的な状況に陥った。しかし木村記者は、ある段階から隊員たちの変化に気がついたという。「手作業で捜索するようになって、中に生きている人がいるのではないかと思った」などと語った。取材ヘリの音が邪魔なのか、隊員はヘリを遠ざけようとする動きも見せた。断続的に起こる余震で、隊員は避難を余儀なくされ、作業は度々中断された。その救出の様子は全国に生中継された。そして地震発生から93時間後、男の子が助け出された。93時間の取材の最後にたどり着いたこの現場で学んだこととして、木村記者は「救助をした人だけでなく、周りでフォローする隊員の方について、危険を早く伝えたり、管轄や部隊の違いを越えて極限の状態の中で救助活動をするなど、日頃から連携をとれる体制づくりが大事だと思った」などと語った。

東日本大震災から7年が経過した。津波の映像を記録として残した人々が、その思いを語った。

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新潟テレビ21
東日本大震災
津波

災害列島2018 巨大災害は必ず来る!! (バラエティ/情報)
15:55~

電気店の山口貴廣さんは、震災の日、迫り来る大津波を撮影した。当時ブライダルビデオの撮影も請け負っていた山口さんは、津波が来ていると知りカメラを手に店を飛び出した。避難場所は店からわずか30mの釜石市役所。海面から10m以上高く建物もしっかりしていた。100先から津波が迫る中、坂を登りながらカメラを回した。映像には自分の店が流されていく様子や、逃げ遅れ、津波に巻き込まれる人々の姿が残されていた。「カメラを撮るほかに何かできることがあったんじゃないか」と当時の思いを語った。罪悪感のような思いを抱えていたが、遺族の方から「親父の最後の姿がわかった」という声を頂き、救われたという。津波の恐ろしさを伝えてほしいという遺族からの要望もあり、山口さんはその動画をインターネットに公開し続けている。

震災当時、両石町の町内会長として防災活動の指揮をとっていた瀬戸元さんは、自宅近くの高台でハンドマイクによる避難を呼びかけながら津波を撮影した。「津波が来るぞ」という呼びかけを聞いて、逃げた人もいるという。釜石市は、明治、昭和の時代から、津波の被害を受けてきた。 瀬戸さんは、その被害を繰り返さないよう、語り部として活動を行っている。「記憶は時間がたてば忘れ去られていく。記憶よりも記録」などと信念を語った。自身が記録した映像を公開しながら、全国各地で講演を続けてきた瀬戸さんが、一番大切にしている命の教訓は、”一人でも逃げる勇気”だという。その背景には、三陸地方で古くから伝わる、自分の命は自分で守れという「命てんでんこ」という防災の教訓があった。

火に囲まれた気仙沼で取り残された446人の命を救ったのは一人の青年のツイートだった。

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東日本大震災
津波
両石町(岩手)
気仙沼

災害列島2018 巨大災害は必ず来る!! (バラエティ/情報)
16:05~

宮城県気仙沼市は、東日本大震災で大津波に襲われた。津波警報を聞いて高台に避難した人も多かった。当時児童施設の園長をしていた内海直子さんも施設の子供達10人を連れて避難所へ向かった。避難先は3階建ての公民館だったが、津波は2階の天井部分にまで浸水し、避難していた446人は屋上のさらに上にある狭いスペースへと移った。津波が落ち着くと、数キロ先で火災が発生した。漏れ出した船の重油に引火し、気仙沼湾に火の手が一気に拡大した。火はやがて公民館へと迫っていった。死を覚悟した内海さんは、家族に「火の海、ダメかも、頑張る」というメールを送った。イギリスのロンドンに暮らしていた長男の内海直仁さんは、インターネットで母のいる気仙沼の様子を確認し、遠い距離からでも母を助けたいという思いから、ツイッターに情報を乗せ助けを求めた。「空からの救助が可能であれば子供達だけでも助けてあげられないでしょうか」などと投稿した息子のSOSは、瞬く間に拡散され、当時東京都副知事だった猪瀬直樹さんに届いた。猪瀬さんが即座に防災部長を呼び、救出が始められた。

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ロンドン(イギリス)
東日本大震災
東京都
気仙沼
火災
ツイッター

災害列島2018 巨大災害は必ず来る!! (バラエティ/情報)
16:11~

東日本大震災で津波に襲われた宮城県気仙沼市では、火災が発生し避難所の周りを火の海が囲んでいた。取り残された446人の中の母が発したメールから、その状況をツイッターで伝えた息子のSOSが東京都の副知事だった猪瀬直樹さんを動かし、ヘリコプターによる救出が行われた。孤立していた被災者は東京のレスキュー隊によって全員救助された。

災害において活躍が注目されてきたSNSが、逆効果をもたらすこともある。熊本地震では、「ライオンが動物園から脱走した」という嘘の投稿が被災者を恐怖に陥れた。現在は、SNS情報を分析するための人工知能の利用が進んでいる。

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東日本大震災
津波
気仙沼市(宮城)
猪瀬直樹さん
火災
ツイッター
東京都
DISAANA
熊本地震
SNS
ライオン

災害列島2018 巨大災害は必ず来る!! (バラエティ/情報)
16:16~

去年の九州北部豪雨では、人工知能を活用した災害情報分析システムDISAANAが活用された。大分県庁の防災課の藤澤央通さんは、「必ずSNSの情報を確認する人間を1人置いていた」などと語った。DISAANAは、矛盾する情報があれば、デマである可能性があるとして黄色く表示される仕組みになっている。このシステムの活用により、JRの鉄橋が流出したという情報を入手した県は、すぐにJR九州へと通報し、無事に被害をとどめることができた。

巨大地震が起きたら

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日田市(大分)
JR九州
DISAANA
SNS
大分県庁
九州北部豪雨

エンディング (その他)
16:21~

今後30年以内に震度5以上の巨大地震が来る確率は、日本各地で高くなっている。災害が発生する地理的条件が日本列島には揃っている。必ずやってくる巨大災害に備えなければならない。

  1. 3月3日 放送