国難災害 ニッポン2000年の「宿命」 卑弥呼も平家も秀吉も…歴史を動かした災害

放送日 2017年5月4日(木) 9:55~10:53
放送局 朝日放送

番組概要

オープニング (その他)
09:55~

2011年 東日本大震災、2014年 広島土砂災害、2015年 鬼怒川水害と自然災害が頻発する日本。1995年 阪神淡路大震災の災害対応に指揮に当たった当時の貝原知事はこれを「国難」とし今後の日本がどうするべきかの著書を執筆した。しかし最初の校正後、不慮の事故で死去。享年81歳だった。知事と論争を戦わせた兵庫県立大学 室崎益輝教授は「国難」という言葉は強い危機感を表しているとした。元兵庫県警参与 計盛哲夫さんは、知事は6434人が亡くなったのは自分の責任ではないかと思い詰めていたと話した。

キーワード
東日本大震災
広島土砂災害
鬼怒川水害
阪神淡路大震災
貝原俊民知事
室崎益輝教授
計盛哲夫さん

国難災害 ニッポン2000年の「宿命」 (バラエティ/情報)
09:58~

総合地球環境学研究所(京都・左京区)中塚武教授は清州城から出土した井戸枠などを調査し、平安時代の気温のグラフを作成した。すると平家滅亡の理由が違う角度から見えてくるとし、平家は気候変動による社会の変動によって滅びたのではないかという仮説を立てた。

総合地球環境学研究所 中塚武教授によると、気候のいい時代が10年20年続き、農業の生産力が安定して高い場合、その後の10年20年飢える状態が続いた時に、活路を見出そうとして戦争に駆り立てられることは考えられる。中塚教授は年輪解析のデータと、大津市歴史博物館(滋賀・大津市)の文献を照らし合わせる作業を行っている。解析は切り分けて年輪を機械にかけ、酸素同位体比を計測する。弥生時代、卑弥呼が擁立されたとされる時期や応仁の乱が始まった時期も、気候変動が大きい時期だということがわかった。中塚教授は気候変動の影響は小さくなっている一方、地震の影響はインフラの発達に伴って大きくなっているとみている。

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総合地球環境学研究所
大津市歴史博物館

国難災害 ニッポン2000年の「宿命」 (バラエティ/情報)
10:11~

豊臣秀吉は大地震によるインフラ破壊の最初の被害者であった。1596年の慶長伏見地震により対外国に向けて築城した伏見城が倒壊した。インフラ破壊は戦国時代が終わった後により深刻となる。一橋大学 渡辺尚志教授は、江戸時代は発展であると同時に災害のリスクも高めることになったと指摘した。1957年の明暦の大火では屋敷や民家1000余りが焼失し、10万を超える犠牲者が出たという。江戸城天守もこの火事で焼失した。住宅が密集しているので地震の被害が起こりやすい、都市部への人口集中がリスクを高めたといえる。

被災者救済制度が始まったのこもこの頃である。渡辺教授によると、幕府や大名は一定の災害対策を実施することで被害を最小限に抑え、民衆の支持を得ていた。1683年 天和日光地震が日光東照宮(栃木・日光市)を襲った。寒川旭さんは当時の文面に混乱を読み取れるという。寒川さんは政治の良し悪しが災害をもたらすと考えられていた時代、為政者は精神的ダメージを受けたと述べた。五代将軍綱吉は徳のある政治を目指し、生類憐れみの令などの政策へ傾倒したと言われている。1707年の宝永 富士山噴火の時も、幕府は被害の最も激しかったところを大名領から幕府の直轄領にかえて自ら復興を主導する対応を取ったという。8代吉宗は享保の大飢饉の際に東日本の米を西日本に回すなどして、飢えた民を救い、全国政権の責務を果たした。

災害が続くと対応をしたくても資金が尽き、危機に十分に対応ができなくなってくる。すると民衆の間に幕府に対する不満が高まり信頼が揺らぐ。徳川幕府が倒れた要因は欧米列強による外的圧力などの他に、災害の頻発と財政難があった。

2016年 熊本地震発生。益城町などの被災地では瓦礫がそのままの状態で残っている。人と防災未来センター 菅野拓研究員は解体が遅いと不満を漏らす。発生から1年後の解体率は、阪神・淡路大震災が94.5%だったのに対し、熊本地震は59.0%に留まっている。菅野研究員は政府が半壊家屋までを補助対象にしてしまったことで、解体の量が増え全部終わるまでに2年かかる計算になると指摘。さらに半壊家屋を解体すれば仮設入居を認めるという決定が解体数を増やしてしまったと指摘した。しかし、菅野研究員は南海トラフ巨大地震が発生した場合は規模が違い、こうした支援は難しいという。建物の全壊は238万6000棟になるとの想定で(東日本大震災では12万2000棟)、また首都直下地震は避難者数720万人との想定が出されている(東日本47万、阪神32万)。

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明暦の大火
天和日光地震
熊本地震
徳川幕府

国難災害 ニッポン2000年の「宿命」 (バラエティ/情報)
10:26~

国難級の巨大災害の被災シナリオ研究が行われた。研究会では関西大学 永松伸吾教授は被災していない自治体財政が苦しくなるとの見解を述べた。共同研究者の九州大学 宮崎毅准教授は東日本大震災直後の市町村財政の動きを集計した。それによると非被災地の財政が悪化していくのがわかる。東日本大震災や阪神淡路大震災などでは復興予算が被害額を上回る傾向がある。善意からくるため歯止めがかかりにくい支出である。

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関西大学

国難災害 ニッポン2000年の「宿命」 (バラエティ/情報)
10:32~

松本崇さんは1923年 関東大震災では都市は復興するが、農村部の復興が全くなされなかったと述べた。首都復興のもとで地方が置き去りになってしまったのだ。こうした中、満州移住計画が進められたという。それが国家拡大政策の肥大化につながったとする。

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関東大震災

国難災害 ニッポン2000年の「宿命」 (バラエティ/情報)
10:38~

2015年11月、河田恵昭特任教授と五百旗頭真理事長はポルトガル・リスボンを訪れた。ここは260年前の巨大地震で屋根が崩落し今もその時のまま保存されている。河田教授は日本がおかれている状況について現地の研究者たちに訴えた。日本に鉄砲やキリスト教をもたらすほど世界に勢力を広げていたポルトガルだが、イギリスやフランスなどの勢いにおされる中でリスボン地震が起きた。その後巨大な津波が渦を巻いて街に流れ込みマルケス・デ・ポンバルを中心にリスボンは復興を遂げるものの約50年後、ポルトガルはフランス軍の侵攻を受け世界の覇権争いから完全に脱落した。この災害の復興プロセスを研究したイギリス人学者は「18世紀のポルトガルの没落したイメージの原因はリスボン地震の衝撃にあることは疑いようがない」と述べている。しかしこうした過去の悲劇を意識して暮らしているリスボン市民は多くない。

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リスボン(ポルトガル)
リスボン地震
東日本大震災
フランシスコ・ザビエル

国難災害 ニッポン2000年の「宿命」 (バラエティ/情報)
10:46~

渡辺尚志教授は次の大災害を国難にしないためのヒントとして埼玉・川越市へ案内する。江戸時代に久下戸村 上組の名主をつとめた奥貫家には国難を回避する小さな教訓が伝わっているという。この家の当主だった奥貫友山は1742年に大洪水で荒川が氾濫した時、資材をはたいて村人を救っている。その経験を子孫に向けて残した文書では機械的に救済を行うと必要としていない人にも支援物資がいくので改善策として「村ごとに大きな百姓家を炊き出しの場所にして正直者を選んで粥を支給させれば貪欲なものも手持ちの食料を食べる」と提案している。

菅野拓研究員は「一律にというのは乱暴な議論で本当は災害によってダメージを受ける量は人それぞれのはず」と指摘し、個別に抱える問題に焦点を絞って適切な支援を行なっていくという発想の転換が求められると話した。また松元崇は災害国なので不安が起こって混乱しないようにしっかり安定した社会基盤をつくっておくことが必要だと述べている。中塚武教授は「人間の活動が本当に続いていくのかという意味では環境の変動を乗り切る術を社会自身が身につけていかないといけない」と思いを語った。

キーワード
川越市(埼玉)
  1. 5月4日 放送