プロフェッショナルな妻たち 2016年6月4日放送回

放送日 2016年6月4日(土) 16:00~17:25
放送局 朝日放送

番組概要

オープニング (その他)
16:00~

人生の分岐点で夫を上手にコントロールし、人生の窮地から夫を救った妻たちを取り上げる。元気がトレードマークのアニマル浜口は、実は口下手だった。そんな夫が始めたジム経営を妻の意外な行動が救った。プロレス一筋小橋建太を襲った突然のがん宣告。妻の思いが死を覚悟した夫を変え奇跡を起こした。プライドの高い桜金造を脳内出血が襲った。死にたいと口にする夫を救ったのは妻の飴と鞭”ツンデレ”だった。夫婦を幸せへ導く操縦術はまさにプロフェッショナルな妻、”プロ妻”。さらに、その”プロ妻”の対応を心理学のプロが分析する。世の中全ての妻たちへ贈る夫婦の関係再発見の物語。

キーワード
腎臓がん
脳内出血

アニマル浜口(66)&初枝(75)夫妻 (バラエティ/情報)
16:02~

アニマル親子 ”人生最大のピンチ”とは!?

最初のプロフェッショナルな妻はアニマル浜口の妻初枝。アニマル浜口(68)と初枝(75)夫婦はちょっとした言い合いが絶えない。地元・浅草での豆まきに参加して境内でいつものように吠える夫を、妻は姿が見えない場所から「アニマルいいぞ!」と誰よりも大きな声援をおくっていた。相反する行動のようだがそれがこの夫婦。今は明るく人気者の浜口にも数知れない人生のピンチがあった。一途でまっすぐな夫、アニマル浜口をピンチから救ったプロ妻の物語。

結婚から43年、姉さん女房の初枝さんにアニマル浜口の性格を「社交性・繊細さ・好奇心・真面目さ・柔軟さ」の5項目で分析してもらった。結果は「繊細さ・真面目さ」が満点だった。この真面目すぎる性格がアニマル浜口のプロレス人生に災いしたが、妻の操縦術が夫を窮地から救った。2人の出会いは46年前で、初枝が母親と2人で切り盛りしていた浅草の小料理店をまだ無名のアニマル浜口と先輩が偶然訪れたことだった。アニマル浜口は無口な青年だったという。この日をきっかけに店に通うようになった浜口を初枝は暖かく迎え入れた。およそ3年の交際を経て1973年に結婚。その後長女、長男と子宝にも恵まれ幸せな日々を送った。

1980年3月、いつものように目一杯戦うアニマル浜口が試合中に気絶してしまった。床に頭部を強打した脳しんとうによる壮絶な気絶で、担架で病院に運ばれた。幸い脳に異常はなく自宅に帰れたが、痛みと戦いながら浜口は「このままプロレスラーとしてやっていけるのか」と自分を追い込んでいた。初枝は心配はしたが行動には出さず「なんとかなるんじゃない?」など普段通りに声をかけていた。こっそりとケガの完治を祈っていた。東京未来大学の出口教授は「慰めの言葉、共感の言葉をかけるのは罪悪感を強める」「通常通りが一番の安心に繋がる」と解説。浜口は怪我から半年後に復帰を果たし、人気レスラーの座を不動にした。しかし復帰から5年後の1985年10月に頚椎損傷の大ケガを負った。このケガが2人の人生のターニングポイントになった。

1987年、40歳の浜口は「もう引退する」と初枝に宣言した。しかし浜口は引退後について決めていなかった。その後浜口は毎日将来について考えていた。初枝はあえて放置していた。1か月がすぎた頃、満を持して「ジムでも開いたら?」と声をかけた。あえて時間を置いたのは、柔軟性の低い夫への初枝ならではの操縦術だった。

初枝の対応で頑固な浜口も動き、「アニマル浜口トレーニングジム」がオープンしたが、順風満帆とはいかなかった。オープン当初は、口下手で社交性が低い浜口は練習生に上手く声をかけることができなかった。初枝は自分から前に出ることは決してせず、夫を立てて何気なく練習生とのコミュニケーションを取り持った。2人きりの時間になると、優しくさりげなく「もっと声をかけたほうが良いんじゃない?」などと浜口に話しかけた。出口は「人とコミュニケーションを取ると、おせっかいをするような感覚に陥りやすい。そっと背中を押すことで、それは必要なことなんだ、と」と解説。初枝の支えで浜口は生まれ変わっていき、ジムは活気づいていった。

ある日、娘の京子が「プロレスラーになりたい」と言い出した。初枝は驚いて反対した。レスリングは未経験の浜口はまずボディビルを指導し、その後は想像を絶する厳しさでレスリングを指導した。余りの厳しさに京子が泣いて帰ってくる日が続いた。京子はわずか5年で世界選手権で優勝し、アニマル浜口は未経験ながら指導者として日本代表にも参加した。そしてアテネ五輪で女子レスリングが正式種目に決定した。京子は金メダルの有力候補になり、指導者アニマル浜口にも期待と注目が集まった。2004年8月のアテネ五輪で京子は順当に勝ち進み、浜口は必死で応援した。京子は準決勝まで進んだが、アニマル浜口親子に人生最大のピンチが訪れた。

キーワード
国際プロレス クロニクル
後楽園ホール
新日本プロレス
脳しんとう
アニマル浜口トレーニングジム
アテネ五輪
浜口京子
世界選手権

アニマル浜口(66)&初枝(75)夫妻 (バラエティ/情報)
16:24~

初枝がとったアニマル救う驚きの行動とは!?

アニマル親子が金メダルを狙ったアテネ五輪。迎えた準決勝で、アニマル親子人生最大のピンチが待っていた。準決勝の相手は、2年前の世界選手権で勝った相手だが、試合は1点を争う接戦になる。そして、浜口京子は破れた。

判定に疑問を感じ、レフェリーに詰め寄る京子。試合中、電光掲示板の得点表示に間違いがあり、得点を見ていた京子は引き分けで延長と勘違いしてしまっていた。困惑する京子が視線を送った先にはアニマル浜口がいた。猛抗議するも聞き入れられず、京子は敗退となった。3位決定戦前、バスに戻ったアニマルと初枝。一番落ち込んでいたのはお父さんだったと話す初枝。日本中が期待していた金メダルを娘に取らせることが出来なかった自責の念、さらに冷静さを失った猛抗議には、日本中からバッシングがあるかもしれない。この敗戦は、アニマルの存在を否定されかねないピンチだった。

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アテネ五輪
アニマル親子
京子
初枝

アニマル浜口(66)&初枝(75)夫妻 (バラエティ/情報)
16:30~

2004年8月アテネ五輪で、日本中の期待を背負って娘京子を支え続けたアニマル浜口。だが、まさかの敗戦で陥ったアニマルの存在を否定されかねないピンチに妻・初枝がとった行動は。初枝は「主人を馬鹿にされるってことは私の屈辱だから」などと話す。初枝は席を立ち、「京子は正々堂々と勇敢に戦った」「わたしは誇りに思う」などとバスの中でマイクを使って演説し、車内は失った元気を取り戻す。さらに夫・アニマル浜口が乱れたことについても「あそこは父親として納得がいかなかったんだと思う」「きっと京子もお父さんに感謝し、誇りに思っているはず」と傷ついた夫を救う言葉を発した。アニマルがようやく口を開いたその時、娘から電話があった。初枝は心を鬼にして、京子に「水で顔を洗って、もうめそめそするんじゃない、銅メダルだけは何が何でも死守しろ、3位決定戦死にものぐるいで行け」などと伝えた。こうして3位決定戦を迎え、浜口京子は銅メダルを獲得した。初枝の夫を守る決意の行動はアニマル親子最大のピンチを救い、見事二人にオリンピックのメダルをもたらした。取材中もアニマルと言い合う初枝。今夫に伝えたい想いは「感謝してるよ、ありがとうって」「私のほうがと6歳半年上だから先に逝くのはわかってますけど、でもやっぱり置いて逝きたくないなぁ」などと話した。

キーワード
アテネ五輪
京子

桜金造(59)&鶴子(57)夫妻 (バラエティ/情報)
16:37~

離婚後始まる愛の形とは!?

続いてのプロフェッショナルな妻は、桜金造の妻・鶴子。芸人の桜金造59歳は、俳優・中本賢や清水アキラらとハンダースを結成し、大ブレイク。さらに俳優としても活躍する。そんな桜金造を甲斐甲斐しく世話をしているのが、内縁の妻・鶴子。仲睦まじく寄り添う二人だが、二人の人生には今の姿からは想像もつかない過去があった。漫才ブームの終焉で酒に溺れる日々。一度は離婚。しかし二人の本当の関係は離婚後に始まった。夫金造が陥った脳内出血で半身麻痺のピンチ。もう死にたいと追い込まれた夫の窮地を救ったのは妻のツンデレ対応だった。

キーワード
中本賢
清水アキラ
あご勇
ザ・ハンダース
宮本信子
半身麻痺
脳内出血
デイリースポーツ

桜金造(59)&鶴子(57)夫妻 (バラエティ/情報)
16:43~

二人の出会いは、1978年。ザ・ハンダースのメンバーとして活躍していた金造が収録先へ向かうロケバスの中で目を留めたのが、当時スクールメイツで活動していた鶴子だった。付き合い始めて1年、子どもが出来たことをきっかけに結婚。テレビ番組で取り上げられた二人の結婚式には「玉置さんとかいらっしゃいました」と言う。1980年にはザ・ハンダースは解散するが、金造はアゴ勇と「アゴ&キンゾー」を結成し芸人活動を続ける。この頃、夫婦は一軒家を購入し、幸せに包まれた家庭生活を送っていた。しかし、日本中を巻き込んだ漫才ブームが終わると、アゴ&キンゾーは1984年に解散。この頃から金造は仕事は減り、酒の量が増えていく。プライドが高い金造は、現実から逃れるように毎日酒を飲み、ストレスのはけ口は家族にまで及ぶようになっていった。

桜金造の人生の窮地を救った妻の意外な対応。これは桜金造夫婦の知られざる物語。

鶴子さんに金造の性格を分析してもらう。真面目さ、繊細さ、好奇心が高く、柔軟さが少ない結果に。そんな金造に鶴子がとったのがツンデレ対応。これが不器用でプライドが高い金造のベストな操縦術だった。ある日、いつもの様に金造が酒に溺れていたとき、金造が酔って言った離婚の言葉に鶴子は、「はい、わかりました」と離婚を承諾。さらにその場で離婚届にはんこを押させてしまう。これがツン対応だった。かねてから酒に溺れる夫に耐えかね、離婚届を出すタイミングを伺っていた。しかし二人が変わっていのたのはここから。離婚後も帰ってくる金造を追い返さず自然に受け入れる鶴子。これが鶴子のデレ対応。鶴子は「別れたから上手くいったってこともあると思っている」と話した。

この行動を心理学のプロ・東京未来大学の出口保行教授は、「基本的に不安が強いタイプ」「見えてる部分では離婚を選択する、でも来る人は拒まない」などと分析。離婚で夫婦関係を一変させた鶴子のプロフェッショナルな対応だった。その後金造は俳優として才能が開花。マルサの女(伊丹プロダクション)などに出演。離婚したままの不思議な同居生活が続いた。

しかし2013年、金造を人生最大のピンチが襲う。厳しい冬の寒さが訪れた2月、当時56歳の金造は、入浴中に突然体の異変に襲われる。当時介護の仕事をしていた鶴子は冷静な判断ですぐに救急車を呼んだ。金造の体に起きたのは脳内出血。手足や顔の麻痺、言語障害など後遺症が残ることが多い。幸い金造はすぐに病院に運ばれ、命の危険はないと診断された。しかし「左半身は麻痺、麻痺の方はちょっとひどい」という風に鶴子は聞いたという。この後辛いリハビリ生活が待っていた。プライドの高い金造が受け入れられなかったのが、トイレで待っていられること。金造は「死のうと思った、こんなんじゃ生きててもしょうがない、お茶碗も持てないわけだから」と当時を振り返った。

不器用でプライドが高い夫が死にたいほど追い詰められた窮地で、プロ妻がとった行動とは。こんな時普通の妻なら励ましたり勇気づけたりするのかもしれない。しかし鶴子は、「飛び込むのは勝手だけど、後に残された人が迷惑するからやめてよね」と言うなど、あえて厳しい言葉のツン対応で接した。心理学者 東京未来大学の出口保行教授は「飴と鞭を上手く使うことによって行動を前に出していくということができるようになる」と語った。一方で、家にてすりを設置するなど、家での暮らしを準備するデレ対応もした。病に倒れてから3年、回復が進む金造。そして、東京・阿佐ヶ谷のアートスペースプロットで行われたプロットライブの舞台に立った桜金造。観客は5人。しかし最前列には優しく見守る鶴子の姿があった。実は2013年5月、金造が鶴子に再プロポーズしたことがデイリースポーツに掲載されるなど話題になっていた。しかし鶴子の返事は、まだ保留で籍はいれない、今のままがいいんじゃないかと言う。夫婦の愛の形は様々な様子。鶴子は「愛はないけど情はあるし、嫌いだけど嫌いじゃないし、腐れ縁じゃないかなって思っている」と話した。

キーワード
伊丹プロダクション
マルサの女
清水アキラ
鈴木末吉
アゴ勇
アパッチけん
ザ・ハンダース
玉置宏
アゴ&キンゾー
東京未来大学
脳内出血
阿佐ヶ谷(東京)
デイリースポーツ
アートスペースプロット

小橋建太(48)&真由子(41)夫妻 (バラエティ/情報)
16:57~

二人でがん乗り越え迎えるその日

続いてのプロフェッショナルな妻は、小橋建太の妻・真由子。小橋建太48歳、元プロレスラーでそのスタイルはプロレス界のレジェンドだった。そして妻の真由子は、演歌歌手「みずき舞」として活躍していた。今・小橋建太の腕の中には、昨年7月に生まれた長女・未來ちゃんがいる。しかし小橋がこの幸せを手に入れるまでには知られざる過去がある。突然のがん宣告で諦めたプロレス人生から小橋を救ったのは夫の性格を知り尽くした妻・真由子。1年半に及ぶ闘病生活だが、この間二人は結婚していなかった。二人を繋いだベビー服、その意味とは。これは不器用で優しい小橋を襲ったピンチを陰で支えたプロ妻の物語。

20年前、小橋と真由子は食事会で出会い交際がスタートした。付き合い始めたころ、ベビー服をカワイイと見ていた真由子に小橋は、将来必要になるかもしれないから買おうか、と購入したという。実はこのベビー服が二人を結びつける絆になろうとはこの時はまだ思いもよらなかった。真由子さんが見た小橋の性格分析は、真面目さと繊細さが高く、社交性、好奇心などは低いという分析。小橋はその不屈のファイトスタイルでファンを魅了し、絶対王者と呼ばれるまでに上り詰める。しかしその陰に人生最大のピンチが潜んでいた。

小橋は年に1度受けていた定期検診で体に異変が見つかった。再検査の結果が出る日、心配した真由子は小橋の家で帰りを待っていた。結果は腎臓がんだった。小橋は、ショックの余り、病名以外何も覚えていなかった。担当医は不在で詳しい情報がつかめない。いつもの豪華な小橋は茫然自失。その時真由子は「結婚してください」という思わぬ言葉を口にする。小橋の返事は、「それは出来ない」というものだった。小橋の本当の優しさ、意外な繊細さに触れ、この時真由子は一生この人と生きていくと固く心に誓った。そしてプロレスラー復帰を絶対に叶えると決意した。まず真由子は手術してくれる病院を探し、がんを勉強した。そしてようやく5件目で治療してくれる病院にたどり着いたが、診断結果は厳しいもので、一刻も早い手術が必要だった。すぐに手術すれば助かるが、小橋は「手術はするが、次の試合はどうしても出たい」と手術よりも試合と言い出した。実はこの時仲間の復帰戦が間近だった。

この時、プロ妻の取った行動は「プロレスを忘れされる」というものだった。手術よりも試合という思わぬ小橋の言葉に、真由子は強い気持ちで思いを伝える。「今は生きることが何よりも大切なんじゃないの!」などと何度も本人に言っていたという。普段は穏やかな真由子だが、そこは譲れない強い思いがあった。何故なら真由子には二人で買ったベビー服があり、そのためにまずはがんと戦わないと始まらない。小橋は手術を決める。2006年7月行われた右腎臓全摘出手術(腹腔鏡下手術)は5時間以上にも及んだが成功。そこから復帰への思いを強くした小橋だったが長いリハビリが必要だった。焦る小橋だが、腎臓がんからの復帰には難しさがあった。高タンパクの食事が筋肉には必要だが、手術で一つになった腎臓では高タンパクの食事が負担になる。食事が小橋のジレンマだった。頑固で不器用な人のピンチの対処法について、東京未来大学の出口保行教授は、非常に思い込みが強いので、こういうタイプは現実を真正面で捉えてしまいがちで、選択肢を与えることが重要だと語る。真由子は栄養学を学び、医師にも相談しながら、たんぱく質の量を計算した料理を考えた。この時もまだ二人は同居していない。復帰に焦る小橋を食事でコントロールする対応だった。

キーワード
みずき舞
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東京未来大学
がん

小橋建太(48)&真由子(41)夫妻 (バラエティ/情報)
17:13~

小橋と真由子 20年温めた二人の絆

妻・真由子の支えでがんから立ち上がった小橋。ついに2007年12月日本武道館で復帰の日を迎える。がんの発覚から1年半、小橋は自分の居場所に戻ってきた。それは以前と変わらぬ勇姿で試合は敗北だったが、実況は「小橋が勝ちました、腎臓がんに勝ちました」と絶叫していた。そして小橋はある決意をした。

4年前逆プロポーズを断った小橋から、自ら思いを伝え4年越しのゴールインとなった。そして真由子のもう一つの願いである待望の長女・未來ちゃんを授かり昨年7月に叶った。

キーワード
日本武道館
腎臓がん
小橋
真由子

小橋建太(48)&真由子(41)夫妻 (バラエティ/情報)
17:18~

引退した小橋に妻真由子が今望むことは?

小橋建太・真由子夫妻に昨年生まれた長女・未來ちゃん。未來ちゃんが着ている服は、出会った頃二人が買ったベビー服。真由子はこの日が来ることを願い、20年近くも持ち続けていた。小橋は「見た時はびっくりした」と語る。2013年に引退した小橋。

キーワード
真由子
小橋

エンディング (バラエティ/情報)
17:22~

2013年プロレスを引退した小橋は現在、地震のジム設立等を準備中。そんな小橋に真由子が望むのは「プロレスを離れても本人の今まで築いてきたことがそこで終わるわけじゃなくて、違う形でプロレスラーとしての生き様を見せていってもらえたら」などと語った。欠点はいろいろあれ、それを受け入れ幸せに導く妻の努力と知恵があった。形は違えどそこにそれぞれの愛の形があった。

キーワード
小橋
真由子
  1. 6月4日 放送