司馬遼太郎がゆく 豊の街道 2015年10月31日放送回

放送日 2015年10月31日(土) 4:31~ 5:20
放送局 朝日放送

番組概要

オープニング (その他)
04:31~

豊の国大分。司馬遼太郎は「街道をゆく」34巻で「豊と口ずさむだけでも野山が華やぎそうである。野は周防灘に面し、帯状に東西にのびている。背後は深い山なみで、樹林が保水し、水を流し、野をうるおし、しかも天変地異がすくない。まことに豊の国というほかない」と綴っている。司馬遼太郎は1989年に中津・宇佐を取材。 片岡鶴太郎が司馬が訪ねた道を再び巡りながら、大分で育まれた食文化のルーツを探る。

キーワード
大分県
司馬遼太郎
片岡鶴太郎
街道をゆく

司馬遼太郎がゆく 豊の街道 (バラエティ/情報)
04:35~

片岡鶴太郎が司馬遼太郎が訪ねた道を巡る。まずは「街道をゆく」で司馬が訪ねた大分県宇佐市。

片岡鶴太郎が司馬遼太郎が訪ねた道を巡る。まずは「街道をゆく」で司馬が訪ねた大分県宇佐市。八幡総本宮 宇佐神宮を訪れた片岡は「空気が違いますねえ」「どこを見ても絵になりますねえ」と語った。「宇佐神宮は神仏習合の発祥の地」「二礼・四拍手・一礼の作法で祭典を行う」と紹介された。

片岡鶴太郎が司馬遼太郎が訪ねた道を巡る。大分中津市の薦神社を訪問。三角池は「古代、3つの沢には山間部から水が流れ込んでいた」「堤防を築き人工的に造られた三角池」「大きな溜池を作ることで、安定した水田耕作が可能に」「当時渡来人しか持っていなかった技術」と紹介された。

米どころ宇佐に伝わる郷土料理

キーワード
司馬遼太郎
街道をゆく
宇佐市(大分)
宇佐神宮
中津市(大分)

司馬遼太郎がゆく 豊の街道 (バラエティ/情報)
04:48~

アイキャッチ映像。

片岡鶴太郎が司馬遼太郎が訪ねた道を巡る。宇佐平野は大分県最大の穀倉地帯。長州地域。120年の歳月をかけ完成した広瀬井手は南一郎平によるもの。

片岡鶴太郎が米どころ宇佐の郷土料理を堪能。あみ飯や勝ちえびちらし寿司やみとりおこわが振る舞われた。みとり豆は宇佐市で収穫される「あずき」に似た豆科の一種。

片岡鶴太郎が司馬遼太郎が訪ねた道を巡る。八幡信仰の歴史について説明。片岡鶴太郎は「現実に八幡信仰が都へ伝来されたのはここ、宇佐の浜から都へ通じる海の道でした」と語った。

軍事黒田官兵衛現る。

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司馬遼太郎
街道をゆく
南一郎平
宇佐平野
宇佐市(大分)
みとり豆
あみ飯
勝ちえびちらし寿司
みとりおこわ
黒田官兵衛

司馬遼太郎がゆく 豊の街道 (バラエティ/情報)
04:59~

大分の繁栄を支えた周防灘の様子が伝えられた。都に続くこの道を巧みに使ったのが黒田官兵衛だと伝えた。そこで中津城の様子が伝えられた。この城を築いたのは黒田官兵衛だと伝えた。そこで中津城からの景色が伝えられた。黒田官兵衛が中津にやってきたのは1587年で12万3000石の大名になってからだと伝えた。

黒田官兵衛は知略に長けていたと伝えた。黒田官兵衛のエピソードに中津の郷土料理が関係していると伝えた。そこで鱧料理が有名だと伝えた。そこで割烹丸清で「鱧しゃぶしゃぶ」と「鱧の粕漬け」を堪能した。黒田官兵衛は小田原城開城の説得の際に「鱧の粕漬け」を手土産にしたと伝えた。

片岡鶴太郎はお店に眠っていた金屏風を見てイメージをふくらませていた。そこで生きた鱧からインスピレーションを受けて筆をとった。そこで絵を完成させた。

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中津市(大分)
黒田官兵衛
軍師官兵衛
街道をゆく
司馬遼太郎
鱧しゃぶしゃぶ
鱧の粕漬け

司馬遼太郎がゆく 豊の街道 (バラエティ/情報)
05:11~

片岡鶴太郎は中津の鱧からインスピレーションを受けて、お店に眠っていた金屏風に絵を描いた。そこで「鱧圓」という作品が完成した。今にも泳ぎだしそうな作品になっていると伝えた。

片岡鶴太郎は中津の鱧からインスピレーションを受けて「鱧圓」という作品を作った。どこにもない屏風が出来たと話題になった。司馬遼太郎の「街道をゆく」で黒田官兵衛が中津に城を築いた理由について書いてある。そこで中津平野があったからだと伝えた。そこは水田に最適だと伝えた。

かつて司馬遼太郎がめぐった中津で、旅の最後に八面山に登ってきたと伝えた。片岡鶴太郎は八面山からの街の様子を見て、豊かな土地だと感想を語った。また今回の旅は日本人のルーツを感じる旅だったと片岡鶴太郎は語った。

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黒田官兵衛
中津市(大分)
鱧圓
街道をゆく
司馬遼太郎
中津平野
八面山
  1. 10月31日 放送