まろまろ一笑懸命 意外と知らない昭和の歌謡史スペシャル

放送日 2015年7月12日(日) 18:57~23:10
放送局 朝日放送

番組概要

オープニング (その他)
18:57~

オープニング映像。

出演者が登場。オープニングの挨拶。1950年のファッションで登場したしんまろと、きみまろが漫談を披露した。

今の時代では考えられない!今だからこそ話せる、昭和歌謡史の衝撃の秘密を大暴露する。

今日の番組内容を紹介した。

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
19:02~

60年以上活躍している3人の歌手をゲストでおよびした。1945年終戦、並木路子の「リンゴの唄」を紹介した。リンゴの唄のころラジオが一番の娯楽だったと話した。美空ひばりの「河童ブギウギ」を紹介した。

1951年、第一回紅白歌合戦がラジオで放送、この年、美空ひばりと人気を分けた、江利チエミ、雪村いづみを紹介。本日のゲストもこのころデビューしていく。

戦後の歌手デビューは、現在とは違った。ペギー葉山は「火の接吻」でデビューし、南国土佐を後にして、で、ミリオンセラー歌手となった。デビューは、大学時代に帰国子女の友人から英語を教えてもらい、米軍のキャンプで歌ったのが最初だという。 英語がヘタだとブーイングになったので、ラジオの歌をマネして歌ったという。江利チエミも米軍で歌っていたという。

昭和27年、初代コロムビアローズがデビュー。東京のバスガールで一世を風靡した。デビュー当時の写真を紹介。半年顔を隠していたのだという。大津美子も、学校が終わり、愛知から代々木まで夜行列車で作曲家のお稽古をうけに通っていたのだという。2年勉強してデビューしたという。デビューまでは先生のところに通うのが普通だったという。

当時のレコーデンングはもっとスゴい!

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そよかぜ
リンゴの唄
並木路子
青い山脈
河童ブギウギ
美空ひばり
第一回紅白歌合戦
江利チエミ
テネシーワルツ
雪村いづみ
想い出のワルツ
ジャンケン娘
火の接吻
南国土佐を後にして
青山学院
東京のバスガール
渡久地政信

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
19:14~

戦後間もない歌謡界、焼け跡でスタジオがないため、国税局のビルでレコーデンングしていたという。大津さんは、3年経って状況はずいぶんかわったのだという。レコーディングはオーケストラの生演奏だという。テープをつなぐこともでないので、途中で音が入るともう一度最初からやりなおしだったという。

コロンビアローズさんは、紅白を日劇でやったときにひばりさんと共演したという。まだそのころほとんど流通していないコーラを差し入れしてくれたという。

石原裕次郎さんとの話を聞いた。ペギー葉山さんは、日活映画でミュージカルを一緒にやったという。個性的な踊りを披露されていたという。

国民的スターの超貴重なダンスとは?

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コロムビア
国税局

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
19:21~

石原裕次郎さんが昭和31年、ミュージカルに出演したという映像を紹介した。裕次郎さんは踊りは好きでなかったのだという。

はぐれ刑事純情派で、きみまろが演技しているシーンを紹介した。

昭和28年、テレビの本放送が開始した。大津美子さんは昭和31年に「ここに幸あり」が、外国の日本人移民たちに大ヒットしたという。昭和32年に初代コロムビアローズの「東京のバスガール」、映画が製作されるほどヒットした。

ペギー葉山は2000曲以上持っているが、「南国土佐を後にして」が代表曲だ。昭和33年のNHK高知放送局が放送開始で歌って欲しいと言われたが、民謡調の歌謡曲だったため、自分の歌う歌ではないと思い、最初は断ったという。もうひとつは、「ドレミの歌」。ペギー葉山が作詞して歌ったという。

きみまろの本名、かりやよしひろ の7文字でドレミの歌のような歌詞をローラが作った。

第一問。昔は男の間を行ったり来たり。今は?正解は、仏壇とお墓の間を行ったり来たりで、ペギー葉山さんが正解。

第二問。昔はよく羽目を外しました。あれから40年!外しているのは何?正解は、入れ歯。ペギー葉山さんが正解。

第三問。友達にやせる下着を紹介され、やせると信じた下着で?正解は、みみず腫れ。ペギーさんが3連勝した。

第四問。お父さん、掻いて背中を。お父さんがいなくなったら誰が掻いてくれるの?の正解は、自分の柱にこすりつけるしかないです、で大津さんが正解。

第五問。きれいな人ばっかり…?が!の正解は首から下が、だった。ローラが正解。

きみまろの前口上で、ペギー葉山が南国土佐を後にしてを披露した。

衣装を着替えて、出演者が登場。50年代のロカビリーを紹介。 終戦からまもなく10年、アメリカ文化が浸透し1954年にマリリン・モンローが来日した。そのころの風俗を紹介。そのとき現れたのがエルヴィス・プレスリーだった。

3人のゲストが登場。3人ともすごく若くみえるとローラが話した。

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石原裕次郎
お転婆三人姉妹 踊る太陽
はぐれ刑事純情派
ここに幸あり
東京のバスガール
南国土佐を後にして
ドレミの歌
エルヴィス・プレスリー
マリリン・モンロー
ロカビリー

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
19:46~

現在は俳優業がメインだがすごい歌手だった3人がロカビリーブームを語る。藤木さんは、エルヴィスの歌をきいて、日本は敗戦したんだと思ったという。ミッキー・カーチスはエルヴィスと電話で話したことあると話した。

最も脚光をあびたロカビリー3人男を紹介。和製エルヴィスと言われた平尾昌晃。女性人気がNo.1だった山下敬二郎。セクシー・ボイスのミッキー・カーチス。当時は洋楽を日本語にして歌っていたという。ミッキー・カーチスは自分で歌詞を書いていたという。

当時の発信源はジャズ喫茶だった。ロカビリーブームでロカビリーの演奏を聞かせるようになったという。日劇ウエスタンカーニバルには、多くのミュージシャンが演奏していたが、ファンが過激だったという。

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エルヴィス・プレスリー
リトル・ダーリン
平尾昌晃
山下敬二郎
銀座ACB
日劇ウエスタンカーニバル

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
19:55~

ロカビリーブームを象徴する日劇ウエスタンカーニバルは、ファンの熱狂ぶりがすごかった。映像を紹介、舞台にあがってくるという。ロカビリーはみんな不良になるといわらえ、テレビ放送禁止だったという。

尾藤イサオは、日劇ウエスタンカーニバルの7Fにあった高級ストリップ劇場で曲芸をやっていたという。

ミッキーが、デビュー曲のテディベアを披露した。

日劇ウエスタンカーニバルで、親衛隊の元祖ができたという。いまだにステージにあがってくるという。また、紙テープが投げられることがはじまったという。

ミッキー・カーチスのコレクターが登場し、アルバムなど、当時の貴重なグッズを紹介した。

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日劇ウエスタンカーニバル
悲しき願い
トニー谷
テディベア
親衛隊
ミュージック・ライフ

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
20:06~

ミッキー・カーチスのコレクターが登場、当時の貴重なグッズを紹介した。当時のジャズ喫茶のチケットは10万以上するという。

ギャラの話しを聞いた。ミッキーは、当時7台の車を持っていたという。ミッキーはあんまり女性とは遊ばなかったという。現在の奥さんは33歳下で7年前に結婚したという。

つぎにツイストブームが到来。60年代に世界中で大流行した。藤木さんがツイストの第一人者だったという。たてつづけにツイストの曲を発表した。だが、藤木さんは人気絶頂のなか、歌手を引退し、俳優となった。もともとはジャズボーカルを目指していたという。ツイストが好きではなかったのだという。

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浜口庫之助先生

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
20:15~

きみまろの前口上で、全員でツイストを踊った。

高度成長期を迎えた日本、生活をたのしむ余裕の出てきていた。そのときひろがったのがテレビだった。野球中継、東京オリンピックなどがあり、1964年には普及率が90%を超えた。出演者もみゆき族のファッションに着替え、テレビの普及とともに大活躍したゲストが登場した。

1960年代のテレビには、渡辺プロダクションのタレントが多数出演していた。日劇ウエスタンカーニバルの成功があったためだ。ザ・ピーナッツを紹介。ピーナッツの後輩がナベプロ3人娘だ。ダンサブルなカバーポップスを歌うアイドルグループだった。ナベプロ3人娘が日劇ウエスタンカーニバルに出た時の想い出などを語った。

3人が語るザ・ピーナッツの秘密とは?

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所得倍増計画
みゆき族
渡辺プロダクション
ザ・ピーナッツ
恋のバカンス
第14回NHK紅白歌合戦
可愛い花
ハイハイ3人娘
日劇ウエスタンカーニバル
ジャニーズ

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
20:25~

ザ・ピーナッツと3人は、衣装をもらうなど、よい先輩だったという。当時の写真を紹介。ほくろがあるのが姉だが、妹のユミさんもマジックで描いていたという。中尾さんは、ザ・ピーナッツのふたりは結婚してもずっと一緒にいたという。

「可愛いベイビー」でヒットしていた中尾さんは、スパーク・ショーというテレビ番組のマスコットガールとなり。3人娘になったという。中尾さんは怖かったという。

3人のなかで園さんが一番男性ファンが多かったという。

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ザ・ピーナッツ
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可愛いベイビー

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
20:31~

ナベプロ3人娘できみまろが応援していたのは園さんだったという。

60年代、テレビの普及とともに、夢であいましょうという番組が愛された。61年にはシャボン玉ホリデーもスタートした。次々にスターは生まれていった。当時は給料制で、売れなくなったら歩合になったと話した。渡辺プロダクションが芸能プロとしてはじめて給料制をとりいれたのだという。

ナベプロ3人娘としてレコードを発売したことはないという。それぞれレコード会社が別だったのだという。そのあと、個人で活動をしていく様子を紹介した。園まりさんは「逢いたくて逢いたくて」、伊東ゆかりさんは「小指の想い出」 のヒット曲を出した。園まりさんは、1967年のブロマイド売り上げ女性1位だったという。

2004年に三人娘を再結成した。さまざまな思いがあったという。

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上を向いて歩こう
夢であいましょう
シャボン玉ホリデー
渡辺晋
逢いたくて逢いたくて
小指の想い出

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
20:40~

それぞれソロとして活躍し、園まりは一時芸能活動を休止していた。30年の時をこえ再結成したのは、園さんは中尾さんが苦手で逃げてたという。父が病気になり、お金がなくなり再結成の話になったという。ミエさんが、園さんに苦労をちゃんとわかってくれていることがわかり、感動したと話した。ミエさんは、ゆかりさんが誘って、みんなでやろうと決めたと話した。

きみまろが、園まりに自分のためだけに歌って欲しいとリクエストし、歌ってくれた。きみまろが、お返しに漫談を披露するという。

綾小路きみまろが漫談を披露した。

出演者3人が、学生服に着替え登場した。青春歌謡を紹介するという。ゲストが登場した。

60年なかば、高校進学率が70%を超えた。若者は学園生活に憧れを抱いた。これを歌ったのが青春歌謡で、御三家と言われるスターが登場した。舟木一夫の高校三年生は大ヒットとなった。橋幸夫は、吉永小百合とデュエットし、いつでも夢をでレコード大賞を受賞。映画もつくられた。最後は西郷輝彦、「君だけを」を紹介した。

ゲストが御三家についてトークした。西郷さんがコンサートをし、ファンが殺到し死亡者が出たこともあったという。そのあと三田明もデビュー、四天王とも呼ばれた。当時はみんなライバル意識をもっていたという。三田明は、橋幸夫のモノマネが得意だといい、披露した。きみまろも森進一のモノマネを披露した。

美樹克彦は個性的なパフォーマンスが際立った。森田健作はドラマの主題歌になり、森田健作といえば青春というイメージになった。3人はさまざまな苦労があったという。三田さんは同級生がさわぐので、学校に行けなかったという。美樹さんは、ウワサが たたないよううまく恋愛をやっていたと話した。森田さんは、交換日記をしていた想い出を話した。

美樹克彦の「花はおそかった」を紹介。涙を歌いながら歌い、セリフを言うことが話題だった。このセリフは最初から詩に書いてあったという。泣けといわれて、泣いて歌ったのだという。カメラが寄ると涙が出たという。

人気のバロメーターとしてブロマイドがあった。マルベル堂の方がゲストのブロマイドを持ってきた。1964~66までの売り上げ順位を紹介、三田さんが5位までに毎年入っていた。森田さんは70~74年で1位だったという。きみまろさんも昔つくったが、もうなくなってしまったという。急遽別室でブロマイドを撮影することになった。撮影部屋に隠しカメラを設置。自分で好きなポーズをとるといって、アイドルのようなボーズをとっていた。

帰ってきたきみまろに隠しカメラでみていたと伝えた。できあがったブロマイドを紹介した。マルベル堂で1週間限定で販売するという。

3人はそれぞれ全く違った方向へ進んでいった。美樹は、作曲家として活躍している。三田は、事務所の倒産で借金を背負い、さらに飛行機がハイジャックされた。そのあと、天ぷらを自宅で作って火事を起こし、やけどを負ったという。だが、すぐに回復できたという。森田は、千葉県知事として活躍している。

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舟木一夫
高校三年生
橋幸夫
いつでも夢を
西郷輝彦
君だけを
美しい十代
玉置宏
回転禁止の青春さ
さらば涙と言おう
おれは男だ!
花はおそかった/回転禁止の青春さ
もしかして PART II
吉永小百合

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
21:14~

森田健作のプロポーズの逸話を聞いた。夜中、仙台の砂浜まで車をとばし、朝日の中、さらば涙と言おうを歌い、一緒に走り、プロポーズしたのだという。ずっと青春をもちつづけたいと話した。

綾小路きみまろが前口上をし、森田健作がさらば涙と言おうを披露した。

出演者が、グループサウンズの衣装を着て登場。ゲストが登場した。60年代、ベンチャーズが登場し、世界中にエレキブームが到来した。日本の若者は衝撃を受け、ビートルズの来日でその熱は加速した。日本でもジャッキー吉川とブルー・コメッツが登場し、グループサウンズブームに火がついた。

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さらば涙と言おう
ベンチャーズ
Walk, Don’t Run ’64
ビートルズ
A Hard Days Night
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
青い瞳

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
21:26~

ジャッキー吉川とブルーコメッツはもともと伴奏のバンドだったという。ナベプロの3人など演奏したという。美空ひばりの真っ赤な太陽も演奏し。140万枚を売り上げた。レコーディングの美空ひばりさんは、音合せもふくめ、3回で終わるのだという。

ブルーコメッツは、自ら作曲と演奏するスタイルを本格的に開始した。ブルー・シャトウはレコード大賞を受賞し、150万枚を売り上げた。ブルー・シャトウといえば替え歌だ、という話しになった。

本人がブルー・シャトウの替え歌を披露してくれた。

ブルーコメッツの人気をうけ、新しいGSグループが誕生した。パープル・シャドウズの「小さなスナック」、ジャガーズの「君に会いたい」を紹介した。ジャガーズの沖津は、当時、街中を歩くのが怖かったという。パープル・シャドウズはもともとハワイアンバンドだったので、地味だったと話した。パープル・シャドウズの今井さんは、今でも50年同じギターを使い続けているという。

ピンキーとキラーズの「恋の季節」は、オリコン17週1位という記録をうちたてた。16歳でデビューし、3年間まったく休みがなかったという。寝るのは1日1~2時間だったという。きみまろはキャバレーで、ピンキーとキラーズの司会をやったことがあるという話を披露した。

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真っ赤な太陽
美空ひばり
ブルー・シャトウ
小さなスナック
パープル・シャドウズ
君に会いたい
ジャガーズ
恋の季節
ピンキーとキラーズ

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
21:41~

今井さんが、今陽子さんに言いたいことがあるという。新人賞が小さなスナックがとるのが確実だったという。その7月に急に出てきて、ピンキーとキラーズに持っていかれてしまったという。

GSブームはわずか2年半で終了してしまった。番組で仮説として、GSは社会問題になった。GS見に行ったら不良だと言われたという。急激にGSが増えすぎたことではないか、と話した。そのなか、過激なパフォーマンスで話題となったオックスの話になった。半分以上ファンが失神したのだという。また、実はGSはほとんど自分たちで演奏していなく、アテぶりしていたという。

綾小路しんまろの前口上で今陽子が「恋の季節」を披露した。

出演者がシックな衣装で登場。ゲストを紹介した。ムード歌謡はどのようにしてブームになったら紹介。50年代、米兵を相手に活動していたバンドがナイトクラブに移ったことがきっかけだという。大人の男女の恋愛を歌い、歌謡曲にハワイアンやラテンなどの洋楽を融合させたものだ。原点は、フランク永井。代表曲は「有楽町で逢いましょう」。和田弘とマヒナスターズの「泣かないで」。和田弘とマヒナスターズで使われた楽器が象徴的だった。

楽器はスチールギターまたはハワイアンギターという。向坂さんに演奏してもらった。マヒナスターズはもともとハワイアンバンドだったという。マヒナスターズは女性歌手をゲストに招き、デュエットでヒットをとばした。松尾和子との「誰よりも君を愛す」吉永小百合との「寒い朝」などを紹介。

マヒナスターズは、10年ライバルが出なかったという。そのころ、忙しくて休みもなく、点滴を打ちながら演奏していたという。田代さんは、シャンソンを歌いたかくて勉強していたが、廊下ですれちがって声をかけられたという。

ムード歌謡人気にさらに火をつけたのが夜霧よ今夜も有難うだった。60年代後半、数々のグループが現れ始めた。黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」、オリコンチャート史上初の1位だったという。替え歌のラブユー貧乏も紹介した。

ロス・インディオスの「コモエスタ赤坂」「別れても好きな人」を紹介。B面にカラオケを入れ、カラオケブームのきっかけにもなったという。70年代に入り、敏いとうとハッピーアンドブルーが登場した。

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小さなスナック
オックス
恋の季節
フランク永井
有楽町で逢いましょう
泣かないで
和田弘とマヒナスターズ
スチールギター
誰よりも君を愛す
松尾和子
寒い朝
吉永小百合
お座敷小唄
愛して愛して愛しちゃったのよ
夜霧よ今夜も有難う
石原裕次郎
ラブユー東京
黒沢明とロス・プリモス
オリコンチャート
ラブユー貧乏
コモエスタ赤坂
別れても好きな人
ロス・インディオス
敏いとうとハッピー&ブルー

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
22:11~

1970年代に入り登場した敏いとうとハッピー&ブルーはヒット曲を連発、マヒナスターズを脅かす存在となった。ハーモニーが特徴のマヒナスターズ、ユニゾンスタイルの敏いとうとハッピー&ブルーが、スタジオで意見をぶつけあった。

敏いとうがフランク・シナトラのボディーガードをやっていたというエピソードを、写真と当時の映像で紹介した。

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わたし祈ってます
敏いとうとハッピー&ブルー
よせばいいのに
マヒナスターズ
フランク・シナトラ
My Way

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
22:19~

敏いとうがフランク・シナトラのボディーガードをしていたエピソードを披露した。ギャラは500万円だったという。

ムード歌謡の舞台は全国に広がり、ご当地ソングが誕生した。その代表として内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」や鶴岡雅義と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」を紹介した。

田代美代子と松平直樹が「愛して愛して愛しちゃったのよ」を披露した。

70年代フォークソングを紹介。綾小路きみまろらが当時流行ったヒッピーファッションで登場した。もとはアメリカの民謡から派生したフォークソングの代表的な歌手としてボブ・ディランなどを紹介した。

和製フォークシンガー第1号は誰かという問題が出され、マイク眞木らが登場。マイク眞木が和製フォークシンガーとして「バラが咲いた」でデビューしたのだと紹介した。

キーワード
内山田洋とクール・ファイブ
長崎は今日も雨だった
鶴岡雅義と東京ロマンチカ
小樽のひとよ
愛して愛して愛しちゃったのよ
大阪万博
札幌オリンピック
インベーダーゲーム
かぐや姫
翼を下さい
キングストン・トリオ
ボブ・ディラン
ライク・ア・ローリング・ストーン
バラが咲いた
若者たち
森山良子

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
22:36~

70年代フォークソングについて、マイク眞木らがトーク。マイク眞木のデビュー曲「バラが咲いた」は、本当は他の人が歌う予定だったが、マイク眞木の仮歌が評価され、そのまま歌うことになったのだという。また、ブロード・サイド・フォーの「若者たち」は当初ドラマで使われるだけの予定だったため、人気が出てレコーディングをする段階になった時にはバンドは既に解散していたというエピソードを紹介した。

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バラが咲いた
若者たち
森山良子
黒澤明
七人の侍
かぐや姫
神田川

懐かしのスターが夢の共演 (バラエティ/情報)
22:43~

日本のフォークソングは60年代後半に空前の大ブームとなった。その代表的な曲として「戦争を知らない子供たち」や「帰って来たヨッパライ」を紹介。また、札幌オリンピックのテーマ曲となった「虹と雪のバラード」はトワ・エ・モワだけが歌っていたわけではなく、様々な歌手やグループも歌って販売していたというエピソードを話した。

1973年、日本が不況を迎えると、かぐや姫の「神田川」やイルカの「なごり雪」といった叙情フォークが流行るようになった。スタジオでは、当時売れていなかったばんばひろふみが「いちご白書をもう一度」を最後の曲にしようと決意し、作詞を荒井由実に依頼したエピソードを紹介した。

当時フォークソングは東西で大きく分かれていた。関東ではカレッジフォークが主流だったのに対し、関西ではプロテストフォークが流行っていた。黒澤久雄は「自分達が始めたフォークがこんなふうに広がるなんて考えてなかった」と話した。

マイク眞木が「バラが咲いた」を披露した。

黒澤久雄が、娘が「若者たち」をピアノで弾いていたというエピソードなどを紹介した。

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ザ・フォーク・クルセダーズ
帰って来たヨッパライ
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戦争を知らない子供たち
大阪万博
人間なんて
吉田拓郎
トワ・エ・モワ
虹と雪のバラード
ピンキーとキラーズ
札幌オリンピック
かぐや姫
神田川
心の旅
チューリップ
グレープ
精霊流し
なごり雪
イルカ
いちご白書をもう一度
荒井由実
心凍らせて
バラが咲いた
若者たち

エンディング (その他)
23:04~

綾小路きみまろらがきょうの感想を話した。

ブロマイドの売上数を発表。結果は1枚だった。

  1. 前回の放送
  2. 7月12日 放送