仲村トオル 古田敦也が追う 維新の・ぼーる 2012年12月15日放送回

放送日 2012年12月15日(土) 2:34~ 3:29
放送局 朝日放送

番組概要

オープニング (バラエティ/情報)
02:35~

東京ドーム内にある野球体育博物館から仲村トオルが、正岡子規が2002年に野球用語を初めて翻訳したなどの理由で野球殿堂入りを果たしたと説明した。

正岡子規が楽しんだ明治の野球のルールとは、など放送内容の紹介がされ、オープニング映像が流れた。

キーワード
正岡子規

仲村トオル 古田敦也が追う 維新の・ぼーる~時代を生き抜く“野球”のチカラ~ (バラエティ/情報)
02:37~

仲村トオルが、正岡子規が東京で野球と出会いキャッチャーとして活躍、日本で初めての小説「山吹の一枝」を発表した、なぜ正岡子規は野球にのめり込んだのかと説明した。

野球王国と言われる愛媛は正岡子規とどう関わりがあるのかを調べるため、古田敦也が愛媛・松山市を訪れた。正岡子規は故郷である松山市に野球を伝え、その愛媛は野球王国とまで言われるようになった。

2001年日本シリーズ ヤクルト対近鉄の試合映像が流れた。

古田敦也は愛媛県立松山東高等学校を訪れた。学校には多くの連覇を成し遂げたさいの甲子園の盾が飾られていて、第78回全国高校野球選手権決勝での熊本工との闘い、奇跡のバックホームは今でも伝説になっている。

古田敦也は野球部の練習を見学。またグランドでは奇跡のバックホームを投げた矢野勝嗣さんはもう2度とできないプレーだなと思いますねとそのプレーについてや、当時の練習について話した。

NEXT、子規とつながるもうひとつの伝説の試合、を放送。

キーワード
正岡子規
松山市(愛媛)
ヤクルト
近鉄
沢田勝彦監督
第78回全国高校野球選手権
子規
熊本工

仲村トオル 古田敦也が追う 維新の・ぼーる~時代を生き抜く“野球”のチカラ~ (バラエティ/情報)
02:47~

正岡子規と伝説の再試合と言われた試合のつながりとは。第51回全国高校野球選手権決勝、松山商と三沢との試合は4時間以上におよんだ。その試合のスコアブックを目の前にして当時スコアを付けていた大野茂生さんが当時について語った。試合は史上初の引き分け再試合となり、その再試合を松山商は4-2で制した。

正岡子規が俳句に詠んだベースボールはいつ・どの様にして日本に伝わったのかについて、仲村トオルが野球体育博物館の関口貴広さんに話を聞いた。関口貴広さんはホーレス・ウィルソンが1872年に東京大学の前身となる学校で学生たちにベースボールを伝えたのが最初とされている、学生達を中心にベースボールが広がっていったなどと説明した。

そのベースボールを愛媛にいちはやく伝えた正岡子規、今治高校の前身となる今治高等女学校では大正時代に日本発の女子野球部が誕生した。

正岡子規と野球の出会いは東京、何故正岡子規は上京したのか、古田敦也が正岡子規の幼少期に迫った。古田敦也は愛媛・松山市の道後公園にある松山市立子規記念博物館を訪れ館長に話を聞いた。

少年時代内向的な性格だった正岡子規は12歳の頃に「桜亭雑誌」(複製・現資料:国立国会図書館)を書くなど少しずつ才能を伸ばすも、現在の松山東高校である松山中学全景に入学する事により正岡子規の気質が変わりリーダーとして活躍した。そして前へと思う正岡子規は上京し、野球と出会った。

NEXT、子規が愛した明治の野球を古田敦也が挑戦!しかし…を放送。

キーワード
正岡子規
松山市(愛媛)
第51回全国高校野球選手権
太田幸司投手
井上明党首
ホーレス・ウィルソン
東京大学
今治(愛媛)
東京都
子規
古田敦也

仲村トオル 古田敦也が追う 維新の・ぼーる~時代を生き抜く“野球”のチカラ~ (バラエティ/情報)
02:57~

正岡子規が愛した明治時代の野球とはどの様なものだったのか、古田敦也が愛媛・坪西町の坊っちゃんスタジアムを訪れ、明治時代の道具やルールでの野球に挑戦した。明治時代の野球は打者が好きな投球コースを選べ、そのコースであればストライクとなる。さらにヒットもワンバウンドでの野手のキャッチはアウト。

野球体育博物館に仲村トオルが訪れ、展示されている明治時代の野球道具を見学した。

現在の野球で使用されるバッティンググローブは近代野球で急激に進化を遂げた道具。そのバッティンググローブは明治時代、に手袋専用ミシンが香川県で誕生、発展、現在も香川県が国内生産の9割を占めている。

古田敦也は香川・三木町にある、国内で初めてバッティンググローブを開発した株式会社レガンを訪れた。会社敷地内には数々のバッティンググローブを展示したレガンミュージアムがあり、張本勲が3000本安打を達成した際のバッティンググローブなどが飾られている。

古田敦也は株式会社レガンでバッティンググローブが作られる様子を見学、さらに自らが使用していたバッティンググローブのパーツを見せてもらった。また古田敦也はレガンミュージアムに展示されていた自分のバッティンググローブを手にはめさせてもらった。

アメリカから伝わり進化していった日本の野球、そして観客も進化していった。進化したのは応援スタイル、ユニークな応援スタイルを確立したのが広島カープ私設応援団だった。進藤邦憲は私設応援団の歴史や、私設応援団が発祥となったトランペット応援・スクワット応援・ジェット風船などについて話した。

NEXT、35年の生涯で子規が未来に伝えたかったもの、を放送。

キーワード
正岡子規
坪西町(愛媛)
香川県
バッティンググローブ
三木町(香川)
株式会社レガン
張本勲
広島県
全国広島東洋カープ私設応援団連盟
広島カープ
子規

仲村トオル 古田敦也が追う 維新の・ぼーる~時代を生き抜く“野球”のチカラ~ (バラエティ/情報)
03:15~

正岡子規は何故捕手だったのか、古田敦也は愛媛・松山市の道後公園にある松山市立子規記念博物館を訪れ館長に話を聞いた。館長は古田敦也にキャッチャーとして必要な資質について質問、古田敦也が話した。それを聞いた館長はまさしく正岡子規だ、正岡子規は他人の才能を引き出し活かすのが非常に上手だったなどと話した。

結核を患った正岡子規は血を吐きながらも野球をプレーし、晩年を東京・根岸の子規庵で過ごした。子規庵保存会の斉藤直子さんは子規庵での正岡子規について話した。正岡子規は「病林六尺、これが我が世界」と随筆病林六尺で語っている。そして1902年9月19日に正岡子規は生涯を終えた。

NEXT 子規の子孫が明かす野球を愛した理由 そして…を放送。

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正岡子規
松山市(愛媛)
根岸(東京)
結核
子規

仲村トオル 古田敦也が追う 維新の・ぼーる~時代を生き抜く“野球”のチカラ~ (バラエティ/情報)
03:22~

正岡子規の子孫で奈良・奈良市に住む正岡明さんを取材した。正岡明さんは正岡子規の様々な資料を読み取り研究していて、司馬遼太郎から聞いた正岡子規の様子や、そこから読み取れる正岡子規の思いについて語った。

キーワード
正岡子規
司馬遼太郎
奈良市(奈良)

エンディング (その他)
03:25~

正岡子規の歩んだ道をたどり感じた野球の持つチカラについて、古田敦也が、日本の古来のみんなで助け合っていこうという文化が野球に合っていた、この一生懸命のプレーだからこその感動がある、彼が体を患いながらも伝えてくれた事が今生きてるんだと思いますねと語った。

仲村トオルが正岡子規が詠んだ野球についての俳句を読み上げ、エンディング。

キーワード
正岡子規

スポット

スクール/教育

三沢
松山商
愛媛県立松山東高等学校
松山東高校
今治高校

レジャー/交通

道後公園
東京ドーム
甲子園
野球体育博物館
坊っちゃんスタジアム
子規庵

趣味/スポーツ

松山市立子規記念博物館
  1. 12月15日 放送