田部井淳子 最後の山へ 2017年1月7日放送回

放送日 2017年1月7日(土) 8:15~ 9:00
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
08:15~

富士山頂を目指す登山家の田部井淳子さん。生涯最後となった登山の映像で、この3か月後に、田部井さんはがんで亡くなった。夫の政伸さんは半世紀に渡って、妻を傍で支えてきた。田部井さんは世界で初めてエベレストに登頂した女性登山家だが、最後の登山について「エベレストより大変」と語っていた。今回はその最後の登山の様子を伝える。

キーワード
田部井淳子さん
富士山
エベレスト

田部井淳子 最後の山へ (バラエティ/情報)
08:17~

2016年7月。富士山麓に福島からのバスが到着する。乗ってきたのは東日本大震災の被災地の東北の高校生。田部井淳子が日本一の山に一緒に登ろうと呼びかけた。泊りがけで山頂を目指す。昼過ぎ五合目を93人の高校生が出発した。ガイドや医師など、ボランティアのスタッフがサポートする。田部井さんは、ゆっくり、一歩一歩歩くよう呼びかけた。前を歩く夫の政伸さんは、田部井さんが5年前にがんを発症してからずっとそばにいる。

田部井さんは富士山から見える景色で元気づけたいとの思いを込めた。当初、田部井さんは周囲から、始めての登山に富士登山は難しいと反対されたが、高校生にはインパクトが有ると思い、富士登山を決めた。

田部井さん夫婦は50年に渡って埼玉県川越市に住んでいた。田部井さんは女性初のエベレスト登頂を成功させたが、心にはいつもエベレストがあり、亡くなる2日前に意識が薄れる中でエベレストを描いた。

田部井さんがエベレストに挑んだのは1975年、35歳のときだった。当時は国の威信を背負った男性登山家しか登ることができなかったが、そこに15人の女性だけで登頂を目指した。田部井さんは登山隊の副隊長として準備に奔走した。政伸さんはそんな妻を暖かく見守り続けた。家族を残しネパールへ、半年のエベレスト遠征が始まった。思いの外順調に進み、山頂へのアタック準備が整ったころ、キャンプを雪崩が襲った。登山隊に死者はでなかったものの、食料や酸素ボンベが流された。北村節子さんらは登山中止を覚悟するも、田部井さんは続行を主張した。

田部井さんはアタック隊員として20キロの荷物を背負い、山頂を目指した。田部井さんの著書「エベレスト・ママさん」にはその時の苦労が描かれている。田部井さんは見事に女性初のエベレスト登頂を成功させた。帰国後、田部井さんは注目を集め、以前のような生活を送ることが困難となった。田部井さんは子育てにも追われたが、世界的な登山家となった事で女性初の7大陸最高峰登頂も成功させた。

田部井さんが家を空けている間、夫の政伸さんが台所に立った。包丁さばきも見事で、この日は妻の故郷・福島のザク煮を作った。今では政伸さんの得意料理となり、亡き妻に供える。

高校生との富士登山。田部井さんは夫婦で登り続けていた。想像以上に動かない体に戸惑っていた。がんはすでに末期で、全身がだるく、手足が痺れていた。夕方5時、生徒たちは6合目の山小屋に泊まる。しかし田部井さんはこの日の内に、自分だけ先に進もうと考えていた。生徒たちと共に山頂に立つためである。山小屋をあとにした田部井さんは政伸さんと7合目を目指したが、抗がん剤の副作用に悩まされる。しかし自分が苦しくても、生徒たちのことを気遣った。暗闇の中、田部井さんは少しでも山頂を目指した。

田部井さんは1939年に福島県・三春町に生まれた。体が弱く運動も苦手、性格も内気だったという。山に目覚めたのは小学生の頃、担任に連れられて行った安達太良山。今で見たことのない別の世界が広がる山に魅了された。そして夫の政伸さんと出会ったのも山で、5年前に体の異変を感じたのも山だった。

診断は進行した腹膜がん。ただちに抗がん剤による治療が始まった。治療を続ける間も、田部井さんは山に登りたいと訴えた。その想いを叶えようと、政伸さんはなるべく楽に移動できるよう車内に工夫を施した。夫婦で向かったのは日和田山、夫婦でゆっくりゆっくり歩いた。山に登ると田部井さんは生き生きしていたという。田部井さんの著書「それでもわたしは山に登る」には、闘病中の心境が綴られている。

「山からもらった力を震災で苦しむ故郷・福島の子どもたちに伝えたい」。田部井さんは2012年から東北の高校生との富士登山を始める。毎年かかる費用は600万円以上で、資金集めに奔走した。田部井さんは仲間の勧めで、自ら舞台にも立った。

2014年10月、腹膜のがんが脳に転移していることが判明。人生の残された時間をどう過ごすのか。田部井さんは入院していた病院から直接富士山へと向かった。

富士登山2日目、午前3時。高校生たちが準備を始めるがあいにくの雨。その頃、田部井さんも出発したが、一人では立ち上がることさえ出来なくなっていたが、登山道の花が元気づけた。3時間かけて7合目に到着したが、自力で下山することを考えると、田部井さんの登山はここまでだった。

生徒たちが追いついてきた。田部井さんは思わず立ち上がって応援した。田部井さんに富士山登頂を託された生徒たち。標高3500m、高度の影響で遅れる生徒たちも増えてきた。「ゆっくりでも一步一步歩けば必ずたどり着く」、田部井さんの言葉を棟にてっぺんを目指す。11時半、下山していた田部井さんの元に、参加した93人の生徒全員が富士山の登頂に立ったとの連絡が入った。

午後3時半、無事に下山してきた生徒たちを田部井さんが出迎える。10月20日、田部井淳子さんは帰らぬ人となった。

夫婦で通った日和田山を登る政伸さん。田部井さんが再び山を登る力をもらった山の景色を写真におさめた。政伸さんは田部井さんに写真を添付したメールを送った。

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  1. 1月7日 放送